「仁王」と「ちょうちん」中日の対照的打者

2011.07.26


現役時代、豪快なスイングで闘争心を前面に出した江藤慎一【拡大】

 かつて中日ドラゴンズに江藤慎一と中利夫という性格もプレースタイルも両極端の2人のスターがいた。1960年代半ばから70年代にかけての巨人黄金時代、V10を阻止して中日が20年ぶりの優勝を果たす前夜の時代の男たちである。

 2人と私は年齢が近いせいか、野球選手と新聞記者というよりも友だち感覚で接していた。

 球場で取材をしていると、いきなり私の背中をドン! とど突き「本日はやりまっせ!」というのが江藤のあいさつだった。中は「こんちわ」と言ってニコッと笑った。

 バッティングは2人の生き方を象徴しているように私には思えた。

 江藤はごつい腕っ節、目をむいてにらみつける仁王様のような構えで投手を威圧した。

 中は、静かに風に揺れるお盆のちょうちんの風情だった。

 実は、このちょうちんがなかなかのくせ者で、高めの投球には168センチの体をスッと縮め、低めの球には体を伸ばしてストライクゾーンを狭めカウントを稼いだ。自由自在に伸び縮みする“ちょうちん打法”である。

 「体も力もある慎一のような男は、自分に相手を合わさせればいい。でも僕みたいに非力なタイプは、自分を相手に合わせなきゃこの世界では生きていけない。僕は投手の1球、1球に自分を合わせているんです」

 この対照的な打法で、江藤は64年、65年と2年連続で王貞治の三冠王を阻んで首位打者になり、中は67年、王、近藤和彦と争って首位打者タイトルを獲得した。

 大向こう受けするのは闘志が表に出る江藤の方だが、サラリーマンとしては中の生き方に共感するものがある。

 試合前、暇さえあれば中はグラブに油を塗っていた。使い古して、破れた革を自分で縫った跡があった。多分、米国ローリングス社製のものだと思うが、刻印はほとんど擦り切れていた。

 「10年以上使ってるかな。自分の手のひらは取り換えられないスよ」

 同僚の西尾滋高投手のグラブを何気なくはめてみたら、あまりにピッタリ手になじんだので、西尾を拝み倒して譲ってもらったものだった。

 中はこのグラブを引退するまで使い「グラブが届けば、絶対に落とさない」外野守備の名人になっていた。

 後日談だが、彼は引退後マスターズリーグに出場。新品のグラブでフライを落球し、次の試合からナゴヤドームに展示されていた自分のおんぼろグラブを借りて守った。

 晩年、あまり恵まれていたとはいえない江藤は、08年2月、70歳でこの世を去った。

 脳梗塞で倒れ、5年間寝たきりの入院生活だったが、どんなに親しい球界関係者や友人の見舞いも断り続けた。“闘将”のイメージを崩すことを恐れた江藤の最後の美学だったのだろう。

 一方、中は中日一筋18年で現役を引退、監督に。しかし、そのあとがいかにも彼らしい。

 監督経験者としては珍しいことだが、同じ中日で守備走塁コーチ。さらに初めて移籍し、広島カープで守備走塁コーチや2軍監督を務めた。

 75歳になった現在も、野球評論家として球界に深くかかわっている。

 与えられた境遇に適応し、自分の居場所がある限り、しなやかに生きてゆく−中らしい人生哲学である。

 ■三枝 貢(さえぐさ・みつぎ) 1934年生まれ。早大卒、57年中日新聞社入社。東京中日スポーツ運動部で巨人V9時代のプロ野球記者。東京新聞社会部、特別報道部記者。同放送芸能部長、同編集局次長。新聞三社連合(北海道新聞、中日、東京新聞、西日本新聞)事務局長。2000年退社。早大エクステンションセンター講師(ジャーナリズム講座)、退任。

 

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