朝日新聞のカメラマンの写真がおおい点では「報道写真全記録 2011.3.11-4.11 ― 東日本大震災」と共通しているが,この写真集には報道写真ではない写真家の写真もとりあげられている. とくに外国人写真家は日本人とはあきらかにことなる視点で被災地をみているようだ. ミニマリズムのようなものを感じる. 日本人がとった写真のなかでも,記念写真風のものが目をひく. ただし,ひんしゅくを買っている旅行者の記念写真ではなく,被災者のものだ.
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東日本大震災 レンズが震えた 世界のフォトグラファーの決定版写真集 (AERA増刊) 雑誌 – 2011/4/21
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登録情報
- ASIN : B004VMUJ6S
- 出版社 : 朝日新聞出版; 不定版 (2011/4/21)
- 発売日 : 2011/4/21
- Amazon 売れ筋ランキング: - 177,862位雑誌 (本)
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
星5つ中3.7つ
5つのうち3.7つ
16グローバルレーティング
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上位レビュー、対象国: 日本
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- 2011年7月14日に日本でレビュー済みAmazonで購入皆さんのレビューを読んで、私は大きな失望と静かな怒りを感じました。
どうして、こんなにも視野が狭く、想像力に欠けた人が多いのだろうと。
ならば私のこの文章で、どこまで皆さんの心に伝えられるかはわかりませんが、ほんの少しでも、報道を通じて「世の中を観る」ことについて考えてみてもらいたいと思います。
あなたは、この写真集だけではなく、3月11日のあの日からあらゆるメディアで報道される被災地を見て、どう感じましたか?
津波に飲み込まれる街、炎上する街、ありえないところに船や車が打ち上げられた街。
必死に逃げ惑う人、瓦礫と化した自宅の前で立ちすくむ人、無機質なシートや箱にくるまれた遺体の前で涙する人、すし詰めの避難所で寝起きする人。
あなたは、これらの街や人を、「他の街」「他人」だと思って見ていましたか?
あなたの妻、夫、親、子供、親戚、友人、そして他でも無いあなた自身のことだったらと、少しでも想像力を働かせて観てみたことはありますか?
それは何も、被災して避難している人々に対してだけではありません。
寝る間も惜しんで行方不明者の捜索や被災地の復興に努力しておられる警察官や消防隊員や救急隊員や自衛隊員、原発で命がけの作業を行っている作業員、仕事や学業の合間を縫って活動しているボランティア。
それらの人々が、同じくあなたの身近な人や、あなた自身であったらと、想像したことはありますか?
そして、無能だ隠蔽だと日々批判され続けている東京電力の幹部社員や、政府与党の議員であったら、あなたの身近な人やあなた自身は、どういう事を思い、考え、行動するだろうと想像したことはありますか?
事細かに述べましたが、簡潔にこの写真集に例を絞ってまとめると、「この写真の街や人々が、あなたの街やあなた自身であったとしても、何もおかしいことではない、明日は我が身だ。」ということなのです。
私は関東在住ですが、いま、こうして文章を打っている間にも、首都直下型地震が来ないと誰が言えましょうか?
いま、これを読んでいるあなたが、一瞬にして瓦礫の下に埋もれないと、誰が言えましょうか?
あの日、3月11日の、“現”被災地の人たちも、そうだったのです。
14時45分まで、何も変わらない昨日までの一日だと、信じていたのです。
それが、たった一瞬で変わってしまった。それは同時に、私たち非被災者との間に、大きな隔たりが出来た瞬間でもあるのです。
あの日以降、意識しようがしまいが、確実に大きな隔たりが出来てしまったのです。
私もその一員ですが、非被災者たちは家も車も財産も家族も友人も街もあります。被災者たちはそれが無くなった。これは外的な震災の影響の隔たりです。
しかし、非被災者と被災者を「差別」する感情、内的な影響もまた、確実に出来てしまったのです。
ただ一方的に、「被災者の人たちがかわいそう、失礼だ」こう思う事こそ、被災者に対して失礼な事はありません。これは「差別」に他ならないからです。
これこそまさしく、「非被災者のエゴ」であり、先に述べたような、「明日は我が身、自分がこうなっていてもおかしくはなかった」という、至極あたりまえの事を否定することなのです。
我々がこの震災で学ばなければならないのは、「今の平安な日常生活なんてたったの一日で滅びてしまう」ということと、何よりも、「今の平安な日常生活が出来ることに感謝しなければならない」ということです。
非被災者と被災者は何も変わらない。
ただ、「あの時」「そこ」に居たか居なかったかの、小さな小さな違いなのです。
私やあなたが今生きているのも、その小さな小さな運が、良かったということだけなのです。
その意識を持ちさえすれば、震災直後の無様な買い占めなど、起こる理由もありません。
自分たちだけ良ければ良い、という感情が、湧くはずが無いからです。
そして、その意識を啓発すべき存在が、報道であり、フォトジャーナリストという職業なのです。
昔から、不幸な境遇にある人々を撮ることに対して批判の声がもの凄く大きい職業です。
彼らは、幸福で平安な境遇にある人々に対し、不幸な境遇にある人々の事実を伝える「代弁者」です。
だから彼らの写真や言葉という表現は、幸福で平安な境遇にある人々に非常に煙たがられます。
そうして起こる批判の声は、不幸な境遇にある人々と、幸福で平安な自分たちを切り離して見ているから起きる、言うなれば視野の狭い幼い声なのです。
不幸な境遇にある人々に、自分のことを反映して観る。それこそが真に「世の中を観る」ということです。真に「被災者の痛みを知る」ということです。
私はこの写真集の写真家たちが、上記のような思いを持って撮ったのか、それとも単に自身の作品のためという、自己中心的な思いを持っていたのか、それはわかりません。
彼ら自身では無いのですから。
しかし、もとより表現というものはそういうものなのです。創った人間以外に、真の意味も思いもわかりません。
で、あるならば、我々が出来る、いや、しなければならないことは、「そこから何を観るか」です。
事実、私がここまで長々と述べてきた「被災者に自分を反映して観る」ということを行うために、この写真集は及第点の手段であると思います。
少なくとも、写真としては優れたものが多いです。何故ならば、ここで多くの方が批判しておられる、写真をアーティスティックに撮ることでの「インパクト」があるからです。
こればかりは言葉で説明出来る概念では無いので、実際に体感してみてくださいと言うほかありません。
この写真集でもいいですし、世に有名なロバート・キャパの『ちょっとピンぼけ』や、一ノ瀬泰造の『地雷を踏んだらサヨウナラ』など、「面白い」フォトドキュメンタリーは山ほどあります。
どうかフォトジャーナリストという「必要悪」に理解と、広い視野と大きな想像力を持つ人々が増えることを、私は願って止みません。
- 2011年6月16日に日本でレビュー済みAmazonで購入「アート」という言葉でこの本の写真がよく語られていますが、ちょっと「?」。
良くも悪くも写真というのは、こういうモノなんじゃないかなぁと思います。
たしかにその写真を撮影している姿を想像すると不愉快になるものも中にはありますが、その写真だけを取り上げてこの本を評価するべきではないと思います。おそらく百年後、二百年後、いや、もっと後の世代までその記録が残されるであろう、残していかなければいけないこの災害で起こった現実を、写真というメディアで切り取ったものです。被災した人々、被災者を救おうとしている人々の姿です。戦場の記録なので、好きとか嫌いとかではなく、何が起きたかを見るために、私は手元に置いておくことにしました。
- 2019年12月29日に日本でレビュー済み東日本大震災から数日後に被災地入りした外国人写真家たちの写真をメインに一般の人からの写真も含めて構成された約150ページの写真集である本書は、他社出版と較べて写真家の個性を前面に押し出し賛否を呼ぶも、その【芸術性の高さ、客観的な視点】を今だからこそ再評価すべきと思える一冊。
2019年現在、いよいよ東京オリンピックを来年に迎えて祝祭ムード一色になっていくのが予想される中、意識しないといけないのは、オリンピックという国益のために【影響を受けた被災地支援のこと】だと思い久しぶりに手にとりました。
そんな本書は写真集なので、読書感想として語ることはないのですが。押し寄せる波、打ち上げられた船、呆然とする女性、納められる棺と約10年近くたっても、私の様に数日間ボランティアで訪れただけの人間にも視覚的に胸に迫ってくるものがあり、ページをめくる度に忘れてはいけない。とあらためて感じました。
また一方で、縁があって毎年のように海外からの来客をもてなす機会が続いているのですが。豚骨ラーメンや観光地の案内と同時に、いつも本書を手にとってもらい、この国に起きた大災害のことも知ってもらっていて。そんな時にやはり本書のもつ【各写真家の作家性、そして最小限の記録という構成】は言葉を越えた意味を持っているように感じています。
人は様々なことを忘れることで生きていける存在ですが。(それでも)【忘れてはいけない事実と向き合うこと】も大切にしていきたい人へオススメ。
- 2011年7月6日に日本でレビュー済みAmazonで購入評価するに値するような写真がまるでない。
新聞カメラマンが撮影した現場写真などやパブリシティー・フォトの部類は、もう何度も見せられたのが大半で、いまさら写真としてアレコレ言う気にはならないし、ほかに「8人の視線」というコーナーを差し挟んでいるのが本書の特徴といえようが、でも、どの写真家さんも、災害現場の現実や人間を視る眼がじつに弱々しいねぇ。
本書を見終えて、どの1枚として何の記憶にも残らない。
あまりに巨大な現実に呆然と立ちすくんでしまっているというと格好良く聞こえるが、じつは8人の写真家の眼が、視線の先に何も見てない、何も見えていないのではないかと、そういう危機感すら持たされる。
20世紀はじめ、ルポルタージュ・フォトという分野が確立してからこっち、戦争、事件、事故、災害現場などの写真が数多く撮影され発表されてきたが、そういうなかでも、どのような写真が人々の記憶に残ったのか? こちら写真家の皆さんたち、これまで深く考えもしなかったし、そういう写真を凝視しても来なかった。漫然とカメラという道具を使ってカット割り写真ばかり撮ってきたという薄っぺらな創作姿勢が、この写真集で、もろ、露出してしまったというほかはないだろう、お気の毒ながら。
この20年くらいというもの、ルポルタージュ・フォトにメディアが金を出さなくなった結果のところで、この分野に人材が集まらなくなったってこともあるんだろうな。
本書に登場する写真家諸君って、身の程を弁えた草食系の腑抜け君たちばかりではないか。
もっと不条理に腹を立てろ。こそこそとした隙間狙いなんか棄てっちまえ。ギラギラと野心を燃やせ。
- 2011年5月17日に日本でレビュー済みAmazonで購入AERA増刊を購入検討している者です。
被害は少なかったですが私も被災者ですので、報道等は新聞含めてなるべく見ないように
してきました。
ですので各社から出るであろうこの手の写真集は見ないつもりでした。
でもこちらは「作品」として冷静(といっても涙が止まりませんが)に見ていられました。
他社のはあまりに生々しく、身内は津波被害に遭っているものですから、想像したくない写真がほとんどです。
この震災を忘れない、そのためにだったらこの「作品集」の存在価値はあるんじゃないかと思います。
- 2011年6月26日に日本でレビュー済み様々な震災写真集を買いましたが、編集者の個性を感じた唯一の本です。
アートうんぬんという話がありますが、そういう論議は無意味です。写真家がいい写真を撮ろうとするのは当たり前で、写真集はその出来具合についてのみ判断すべきです。
ただ、残念なのは、世界のフォトグラファーの決定版というので、世界の有名写真家のベスト写真を集めたのかと思いきや、単に世界をフィールドに活動する写真家の写真だけで、看板に偽りありです。終盤に差し掛かるに連れ、写真の重複感もあり、やっつけ仕事が見えているのも減点ポイントです。
- 2011年4月27日に日本でレビュー済みあの大震災からおよそ一ヶ月がたち各社が競うように特集写真集を出している。
そうした出版ラッシュの中でもこの本は写真家の個性を前面に出しているという点で特異な一冊となっている。
日本の写真文化には不思議なところがあって、報道写真に撮影者の主観や感性を持ち込むことにいまだ大きな抵抗感や違和感を覚える人が多いようである。
しかし考えてみれば、一方に事実を可能な限り客観的に捉える方法があり、他方に撮影者が自らの個性を最大限に生かした撮影があるのはまったく不思議なことではない。
むしろこの二つのアプローチは大きな出来事を前にして常に両方が試みられるべきであり、それこそが捉えきれない現実に対して写真家たちが全力で取り組むということではないだろうか。
そして、アメリカやヨーロッパのフォトジャーナリズムの世界では、むしろこの個性的で美的センスを兼ね備えた報道写真こそが高く評価されてきたという事実も想い起こされるべきである。
それは決して被写体を冒涜するためにではなく、人びとの記憶に「美しい刺」としてとどまるために選ばれ、洗練されてきた手法である。
そうしてみると、大震災という惨事を前に日本の報道写真界にあえて異質な写真を呈示してみせたこの本はその試み自体大きく評価されるべきであり、それだけでも存在意義があると言えよう。
手許に置いておいて損はない一冊である。