2011年6月11日土曜日

原発計画に関する湯川博士の言葉 1 (Hideki Yukawa's Words about Nuclear Power Development -1-)


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 お願い:このシリーズのハイライトは「原発計画に関する湯川博士の言葉 3」 ですが、そこへの目下のアクセス数はこの記事「原発計画に関する湯川博士の言葉 1」の約半数です。「… 2」を飛ばしてでも、「… 3」 をぜひお読みいただければ幸いです。(2012年1月15日)




 「動力協定や動力炉導入に関して何等かの決断をするということは、わが国の原子力開発の将来に対して長期に亘(わた)って重大な影響を及ぼすに違いないのであるから、慎重な上にも慎重でなければならない。」—湯川秀樹, 一年前と今と,『原子力委員会月報』1957年1月号

 1956年1月、初代原子力委員長・正力松太郎は「5年後に原発建設、米国との動力協定の締結構想」を発表した。同年末に、自立的な原子力研究が担保されていた「日米原子力協定」の見直し作業が始まった。湯川秀樹はこれに抗議して原子力委員を辞任する。以後、原子力委員会は歴代自民党政権に牛耳られ、原発推進機関に変貌した。上に引用の言葉は、湯川の辞任直前の訴えである。[以上、原発の源流と日米関係 4、『しんぶん赤旗』(2011年6月10日付け) を参考にした。]

 湯川の抗議精神を引き継ぐ科学者が原子力委員会で活躍して来なかったことが、福島原発の事故の一因になったのでもあり、悔やまれてならない。


「原発計画に関する湯川博士の言葉 2」

2 件のコメント:

  1. 原子力というものをよく知る人だからこそ慎重に慎重を重ねてという思いが強かったのでしょうか。湯川博士の言葉、とても重く心に響きます。

    技術発展に伴うリスクとどう向き合っていくか、これは多くの研究者の方が必ずぶつかる問題だと思いますが、重大なリスクを避けるために多少開発が遅れても別の道を模索しようという選択をする人はごく一部なのではないでしょうか。それは技術開発と研究者生命が密接に関わっている事情があるのかしら、と素人ながら勝手に想像しております。

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  2.  湯川博士の抗議の対象としては、アメリカで開発された技術や装置をそのまま日本に押しつけられることの危険ということもあったと思います。同じ技術でも、異なった環境で使用するにはその環境での安全対策の研究などが必要ですが、それを無視してことを運ぶという危険を博士は察知していたのでしょう。きょうの朝日紙夕刊にようやく、福島第一原発が米国式設計をそのまま採用したため、ハリケーン対策として非常用発電機を地下に設置する方式になっており、それが津波で水につかり被害が大きくなったと報じられています。
     技術開発と研究者生命の関わりは、ご想像の通りです。工学系では、時流に反する見解を持つ研究者の特定の大学での昇進がなかなか認められないという、前時代的なことがまかり通っています。

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