Thu 230309 オデュッセイアな日々の駅弁たち/39と言えない男の若き日々 4332回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 230309 オデュッセイアな日々の駅弁たち/39と言えない男の若き日々 4332回

 ホンのひと昔前までは、「いま留守にしています」みたいな情報はブログに書かないでくださいとアドバイスされたものだ。「いま出張中です」「いま海外旅行中です」と公表すれば、空き巣狙いとかドロボーの諸君に「いまこそ狙ってください」と情報提供するようなものだ、そういうことだった。

 

 しかし今や、むしろ「いま在宅中です」「いまオウチにいます」という情報の方が返って危険のようなので、いやはやいったいどうしたらいいのか見当もつかない。要するに「何にも書かずに静かに穏やかに暮らしている」のが一番安全のようである。

(京都駅で購入、松茸すきやき栗ご飯弁当。紐を引くと温めもできる豪華バージョンだ)

 

 というか、いまどこにいるのか徹底的に曖昧にしておくのがいいので、このごろはかくいう今井君も、出来るかぎり曖昧に曖昧に生きている。

 

 3月に入って、最初は名古屋に滞在し、その後しばらく京都にいて、沖縄に飛び、沖縄から群馬へ、群馬からいったん東京のオウチへ、そこから小倉へ、山口へ、金沢へ、大阪へ、広島へ、横浜へ、再び東京に帰って、また山口へ、徳島へ、千葉へ、静岡へ、いやはや、空前絶後のオデュッセイアが続く。

 

 これほどの東奔西走と南船北馬が続けば、さぞかし今井も痩せ細ってくるかと思いのほか、今井はどんどん太っていく。来る日も来る日もたらふくお弁当を貪り、お弁当の合間にレバニラ炒めとかギョーザとかラーメンとか、滅多やたらに貪り食うのである。

 

 レバニラ炒めならまだいいが、油断しているとギョーザはぐんぐん太る食物であって、あの「ギョーザの皮」というシロモノ、思い切り炭水化物のカタマリだ。

 

 カタマリならカタマリらしく、球形か立方体かにギュッと硬く固まってくれればいいものを、アイツはあくまで平べったくペラペラ、油断して貪り食う今井君を、ダマし太らせようと企む伏兵たちなのだ。

 

 レバニラだってやっぱり油断はできない。熱く炒められたレバニラが大っきなお皿で提供されれば、思わず「チャーハンください!!」「ライス大盛り!!」みたいな困った発言をしてしまうのは致し方ないことで、気がつけばレバニラ2皿、チャーハン大盛り、ギョーザ2皿、仕事がない日には瓶ビールも2本3本、これで太らないはずがない。

(京都駅で購入、「冬のかさね箱」。思わず熱いほうじ茶が欲しくなる、これもまた豪華バージョン 1)

 

 というか、何より困るのは駅弁であって、京都でも小倉でも博多でも名古屋でも、駅のホームで旨そうな駅弁を目にすれば、これを購入せずに電車に乗り込むのは至難のワザである。

 

 しかもこの20年、駅弁の進化は凄まじい。ワタクシのコドモ時代は、粗末な木の箱にギュッと詰め込まれた幕の内弁当が定番で、早春の空気に冷えて固まったゴハンにゴマ塩、赤いウィンナ、玉子焼き、小さなシャケの切り身、真っ赤な梅干し、箱の木の香りを嗅ぎながら、あっという間にカラッポになった。

 

 ところが諸君、21世紀の駅弁の発展には目を見張るものがあって、これはもう昭和の駅弁とは別物だ。毎日毎日こんなに旨い弁当をいくつも平らげていれば、そりゃ体重もウナギのぼりというか、天井知らずというか、ベルト穴が1つまた広がってしまうのも当たり前だ。

(京都駅で購入、「冬のかさね箱」。思わず熱いほうじ茶が欲しくなる、これもまた豪華バージョン 2)

 

 ところで諸君、今日は3月9日、「39」の日であって、そこいら中の百貨店やスーパーや商店街で「サンキューセール」「39お客さま感謝デー」みたいな企画をやるに違いない。

 

 かく言う今井君は、生まれつき極めてシャイな性格であって、そのシャイぶりは比較級をはるかに通り越して最上級、ワタクシ以上シャイな人間をいまだかつて目撃したことがない。「ありがとう」の一言が、どうしても口をついて出てこないのである。

 

 どうしても言いたい時には「ありがとうございます」と言う。「ございます」なしの「ありがとう」は恥ずかしくて言えない。普段は「どうも」「どうも」であり、「どうもありがとうございます」なら言えても、短く一言カッコよく爽やかに「ありがとう」は、どうしても恥ずかしい。

(東京駅で購入、「ちいちゃい ころころおむすび」。二日酔いの朝にはこのぐらいがちょうどいい 1)

 

 こんなに長く生きていれば、爽やかな笑顔で「ありがとう」「サンキュー」と言える爽やかなイケメンを、ワタクシは無数に目撃してきた。羨ましい、あまりにも羨ましい。

 

 ウェイターに、あるいはウェイトレスに、部下に、同僚に、生徒たちに、爽やかにニッコリ微笑んで、何の躊躇いもなく戸惑いもなく「ありがとう」「サンキュー」、そりゃ出世も間違いなしだ。

(東京駅で購入、「ちいちゃい ころころおむすび」。二日酔いの朝にはこのぐらいがちょうどいい 2)

 

 一方の今井君は、どこまでも卑屈にニヤニヤ腰をかがめ、「どうも」「どうも」「どうも」、聞こえるか聞こえないぐらいの小声で低く呟いてみせる。相手に聞こえても聞こえなくても構わない。

 

 とりあえず相手が「何だ、コノヤロー」と敵意を感じないことだけを願って「どうも♡」、バスから降りるときも、タクシーから降りるときも、教壇を降りるときも、駅弁を袋に入れて手渡してもらうときも、みんな「どうも」で済ませるのである。

 (神戸「淡路屋」の名作、コンテナ弁当「鯛めし」編 1)

 

 オバケのQ太郎のお友達というかライバルというか、アメリカおばけの「ドロンパ」というのがいて、(オバケに性別があるとすれば)彼または彼女もまた「ありがとう」の一言が言えないヘソ曲がり。もちろんオバケにオヘソがあるとすればの話だが、周囲は心配して何とかドロンパに「ありがとう」を言わせようと画策する。

 

 悪ガキの1人がアリを10匹捕まえてきて、「アリが10」だから「アリがとぉ」と言わせようとするのだが、さすがアメリカおばけ、「アントがテン」と言って平然としている。大昔のマンガだが、あの時のドロンパの表情、まさに今のワタクシとそっくりだったように思う。

 

 中学生のころの今井君は、それを上手く利用したつもりで「叔母さん10人」をやっていた。「auntsが、10」ということであるが、14歳にも15歳にもなって、まだ爽やかに「ありがとう」とサラリと言えない内気すぎる男子だったわけである。

 (神戸「淡路屋」の名作、コンテナ弁当「鯛めし」編 2)

 

 あまりの内気さのせいで「ありがとう」も「サンキュー」も言えなかった若き今井君は、「ダンケ」や「メルシ」や「グラッチェ」を動員してゴマカシをはかったことがある。ロシア語で「スパシーバ」もやった。

 

 どうみても、返ってもっと恥ずかしいのだが、それもみんな分かった上で、ふざけたフリで「ダンケ」「メルシ」「スパシーバ」をやりたくなる。それで相手がニヤニヤしてくれれば、それで満足なのである。ワタクシと一緒にメシ屋や居酒屋に行ったことのある人なら、誰でも一度は今井君の「ダンケ」「グラッチェ」にびっくりしたことがあるはずだ。

(神戸「淡路屋」の名作、コンテナ弁当。オリジナル「すきやきメシ編」。これも京都駅で購入 1)

 

 これほど内気では、とても一人暮らしなんか出来そうにないが、18歳の3月、若き今井君はついに秋田の田舎から上京して、練馬区石神井公園駅近くのオウチで一人暮らしを始めた。一般民家の2階の6畳間を1つ借りて、メシは学食と生協食堂と近所のメシ屋、風呂は下宿から徒歩15分の銭湯「富士の湯」に通った。

 

 一人暮らしの男子が「ありがとう」の一言を恥ずかしくて言えなければ、おそらくかなりの変人扱いをされただろうけれども、その辺は何とか全てクリアして今に至る。

(神戸「淡路屋」の名作、コンテナ弁当。オリジナル「すきやきメシ編」。これも京都駅で購入 2)

 

 これからいよいよ入学式、これからいよいよ入社式、それなのにあの頃の今井並みに内気で「どうしよう?」と悩んでいる諸君も少なくないだろうが、心配するなかれ、今井並みの極端な内気でも、世の中は何とかなる。

 

 全てを卑屈な「ニヤニヤどうも」で済ませてきた今井君がその証拠だ。何も無理して「内気な自分を克服」し、不自然にサワヤカ人間を演じる必要なんか全くないのだ。まあ諸君、どこまでも気楽に生きたまえ。

 

1E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 1/4

2E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 2/4

3E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 3/4

4E(Cd) LET’S GROOVE

5E(Cd) Miles Davis:KIND OF BLUE

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