『婦人画報』2019年7月号に掲載したYMO結成40周年を記念した特集「YMO40 彼らがいた時代」をウェブにて復刻。

YMOが初の海外ツアーを行った1979年から2019年までの歩みを、当時の貴重な写真とともにプレイバック。伝説の音楽グループYMOのエバーグリーンな魅力が、いままたウェブにて蘇ります。[初出『婦人画報』2019年7月号 ]


YMO 彼らがいた時代

70年代末から80年代初頭、テクノポップで世界に旋風を巻き起こし、音楽のみならず、ファッションやデザインなど、その後の文化全体に大きな影響を与えてきたイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)。

結成から40年を経ても、色褪せることなく光を放つ彼らの存在に、いま再び目を向けてみたい。なぜなら、そこには、時を超えて受け継がれていく文化の確かなかたちが、きっとあるに違いないから。

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撮影=三浦憲治

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●写真家・三浦憲治が撮り続けたYMOの40年
1979年
「すべての発火点はここから。アメリカ、そして世界へ」
・1980年
「過熱するYMO現象。偶像かカリスマか?
・1981年―1983年
「変転するアーティスト像。社会を翻弄へ」
・1992年―1993年
「一瞬の再交差。すれ違いの再生劇」
・2007年―2019年
「ゆるやかに、自然発生の再々結成へ」

●年表で振り返るYMOとその時代(残り8,024文字)

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目次

1.写真家・三浦憲治が撮り続けたYMOの40年
・1979年
「すべての発火点はここから。アメリカ、そして世界へ」
・1980年
「過熱するYMO現象。偶像かカリスマか?」
・1981年―1983年
「変転するアーティスト像。社会を翻弄へ」
・1992年―1993年
「一瞬の再交差。すれ違いの再生劇」
・2007年―2019年
「ゆるやかに、自然発生の再々結成へ」

2.年表で振り返るYMOとその時代


1.写真家・三浦憲治が撮り続けたYMOの40年

結成の翌年となる1979年にYMOが初の海外ツアーを行ってから今年で40年。写真家・三浦憲治は、この海外ツアーからYMOを撮り始め、散開後もずっと彼らの姿をカメラに収めてきた。その貴重なお宝を、いまあらためて、ここに披露しよう。

撮影=三浦憲治 文=吉村栄一


1979年

すべての発火点はここから。アメリカ、そして世界へ

YMOにとって飛躍の年に。1作目のアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』をアメリカはじめ全世界で発売。さらに夏にはロサンゼルスで初の海外公演を行う。そこで観客が熱狂する姿はNHKのニュースでも報道され、日本国内でもYMO人気が発火。

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撮影=三浦憲治
1979年8月のロサンゼルス公演は、野外劇場のグリーク・シアターでの3公演(米バンド、ザ・チューブスの前座)と、名門ライブハウスのマダム・ウォンでの単独公演となった。
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グリーク・シアターでの公演に先立って行われた、YMOの歓迎パーティ。A&Mレコードのプロデューサー、トミー・リピューマとともに。
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撮影=三浦憲治
初の海外公演となったロサンゼルスにて。このとき、YMOのアルバムの全世界での発売元となったA&Mレコードのオフィスを訪問。
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撮影=三浦憲治
演奏はもちろん、ステージ上にずらりと並んだ、この巨大なモーグ・シンセサイザーなど、彼らが駆使する、当時の最先端の電子楽器も観客の注目を集めた。
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撮影=三浦憲治
ロサンゼルス滞在中は、コンサートやリハーサルのみならず、同行した日本のメディアや現地メディアからの取材攻勢などで多忙ながらも、メンバーは楽屋でリラックス。坂本龍一(写真右)、高橋幸宏(写真左)。

1980年

過熱するYMO現象。偶像かカリスマか?

この年のYMOは、一時期すべてのアルバムがオリコンの上位にチャート・インするという異例の事態に。音楽だけでなく、その言動やファッションも注目され、1980年の象徴となる。10月から始まった大規模なワールド・ツアーでは、ロサンゼルスから日本への衛星中継コンサートも行われ、帰国後は、日本武道館での4日間連続公演も成功させた。

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撮影=三浦憲治
1980年4月に行われたNHKホール公演の開演前のバックステージでのひとコマ。この日が初の国内ツアーの千秋楽でもあった。
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撮影=三浦憲治
10月11日、ワールドツアー初日のイギリス・オックスフォードのニュー・シアター。
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撮影=三浦憲治
イギリス・ツアー中のバック・ステージで。
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撮影=三浦憲治
10月16日、イギリスでのハイライトとなったロンドンの名門、ハマースミス・オデオンでの公演。
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撮影=三浦憲治
ドイツ・ハンブルクの街角に貼られたYMOのコンサート告知ポスターと。
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撮影=三浦憲治
オランダ・ロッテルダムで。取材の合間のティー・タイム。
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撮影=三浦憲治
10月20日、ドイツ・ハンブルク公演。
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撮影=三浦憲治
10月24日、スウェーデン・ストックホルムのホテルで。
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撮影=三浦憲治
10月27日、パリのル・パラス劇場。
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撮影=三浦憲治
10月から11月にかけて行われた2 度目のワールドツア ー「FROM TOKIO TO TOKYO」は世界7カ国を回り、公演回数も16回を超え、日本人としては空前絶後の大規模なツアーだった。
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撮影=三浦憲治
ロンドンでのテレビ・インタビュー。
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撮影=三浦憲治
11月7日、ロスから日本への衛星中継ライブの直前、ホテルでの3人。

1981年―1983年

変転するアーティスト像。社会を翻弄へ

1981年、YMOはそれまでと打って変わった内省的なアルバム『BGM』『テクノデリック』を発表し、先鋭的なカリスマに。しかし、1983年には自分たちをパロディ化したようなポップな活動を始めて再びヒット・チャートの常連になる。1983年10月、解散を意味するYMO“散開”を発表。5年間の歴史の幕が閉じられた。

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撮影=三浦憲治
1983年12月のYMO散開コンサートでの日本武道館公演の観客席。最後の演奏が終わると、「解散反対」のコールが自然発生した。
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撮影=三浦憲治
YMO散開となった1983年の日本ツアーでの坂本龍一。当時は映画『戦場のメリークリスマス』のヒットもあり、アイドル的な人気も。
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撮影=三浦憲治
1983年12月の日本武道館公演終了後の打ち上げ会場での風景。このツアーに出演していたファッション・モデルたちと坂本龍一。
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撮影=三浦憲治
1981年に刊行された写真集『OMIYAGE』(写真=三浦憲治)の取材で、自宅で趣味の釣りの成果の魚拓を披露する高橋幸宏。
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撮影=三浦憲治
写真集『OMIYAGE』より。(左)1981年、当時、引っ越したばかりの自宅で、お気に入りの絵葉書やフライヤーなどに埋もれる坂本龍一。(右)当時、六本木にあった自宅で愛用のシンセサイザー「プロフェット5」を演奏する細野晴臣。

1992年―1993年

一瞬の再交差。すれ違いの再生劇

“散開”から10年。秘密裏にYMOの再結成が進んでいた。3人の音楽性や意識のすれ違い、積年の葛藤を乗り越えての再生は、関係者やファンが期待した華々しいお祭りにはならなかったが、どこか不完全燃焼のようなもどかしさを内包しつつも、一瞬の再生劇に日本は熱狂した。

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撮影=三浦憲治
1992年、アルバム『テクノドン』のレコーディング準備を行うため、場所を借りた山本耀司のアトリエで、彼の愛犬と一緒に記念撮影。
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撮影=三浦憲治
YMOのコンサート史上でも最大規模となった東京ドーム公演。当時としては異例なほどの大量のCG映像も駆使され、話題を呼んだ。
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撮影=三浦憲治
1993年6月に行われた再生YMOの東京ドーム公演より。開演直前、ステージの袖で待機する3人。緊張感が写真からも伝わってくる。

2007年―2019年

ゆるやかに、自然発生の再々結成へ

かつての葛藤や確執が前世紀の過去となった2001年頃から、メンバー間の距離は次第に縮まっていく。そして、2003年には、3人による新ユニット、HAS(Human Audio Sponge)~HASYMOがスタート。それはやがて、YMOの再々結成にもつながり、以降、2007年から3人は国内外で定期的なライブ活動やレコーディングを行っていくことになる。

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撮影=三浦憲治
2007年、細野晴臣と高橋幸宏のユニット、スケッチ・ショウ(2002年)への坂本龍一のゲスト参加から再々結成の機運が高まっていた。
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撮影=三浦憲治
2011年、東日本大震災後の「ワールド・ハピネス」に3人で出演。ステージ上で旗を振って、「N0 NUKES」(脱原発)の姿勢を鮮明にした。
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撮影=三浦憲治
2012年、野外イベント「ワールド・ハピネス」でのリハーサル風景。細野晴臣は80、90年代と違い、ほぼすべての曲を生ベースで演奏。坂本龍一は回を重ねるごとに80年代に使っていたヴィンテージの機材の使用が増えていった。
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撮影=三浦憲治
2013年「ワールド・ハピネス」。この年のイベントのキー・ビジュアルは赤塚不二夫の『おそ松くん』で、それに合わせて3人も「シェー!」。
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撮影=三浦憲治
2016年4月、坂本龍一が主宰するレーベル「commmons」の10周年記念イベント「健康音楽」の前夜祭にて。中咽頭がんを克服して復帰した坂本を祝って、細野晴臣、高橋幸宏がゲストで出演。
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撮影=三浦憲治
2010年「ワールド・ハピネス」のバック・ステージで。以前と違い、自然体の3人の間に緊張感はない。
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撮影=三浦憲治
2018年11月に行われた高橋幸宏のアルバム『サラヴァ !』40周年記念コンサートにて。ゲストの細野晴臣を含む出演者で記念撮影。

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撮影=三浦憲治
2019年3月に開催された、脱原発を訴えるイベント「N0 NUKES2019」で、プリペアド・ピアノのサウンドチェックをする坂本龍一。

2.年表で振り返るYMOとその時代

1978年の結成から現在まで、YMOはどのような活動を行ってきたのか。ここでは、3人揃っての活動に絞り込んで、この約40年を総覧してみた。

〈注〉3人揃っての主だった活動がなかった年については記載を省略しています。

文・写真提供=吉村栄一


1978年

2月初旬
細野晴臣が、坂本龍一、高橋幸宏にYMOの構想を明かす。

2月19日
3人が細野の自宅に集まり、今後の方針を固める。

7月10日
ファースト・アルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』のレコーディング開始。

10月10日
芝・郵便貯金ホールでのFM東京の公開録音イベントに参加。

11月25日
ファースト・アルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』発売。

12月5日
新宿・紀伊國屋ホールで行われた「アルファ・フュージョン・フェスティバル」に出演。

「アルファ・フュージョン・フェステ ィバル」のフライヤー。
「アルファ・フュージョン・フェスティバル」のフライヤー。

1979年

3月2日
セカンド・アルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』のレコーディング開始。

5月30日
アメリカでファーストアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』が発売。

8月2日
ロサンゼルスのグリーク・シアターでザ・チューブスの公演に前座として出演。

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9月25日
セカンド・アルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』発売。

10月16日
イギリス、フランス、アメリカを回るワールド・ツアーの初日がロンドンでスタート。

10月25日
シングル『テクノポリス』発売。

ymo初のシングル「テクノポリ ス」。カセットのcm曲にもなった。
YMO初のシングル「テクノポリス」。カセットのCM曲にもなった。

12月19日
中野サンプラザで凱旋公演を行う。


1980年

2月3日
翌年まで続く、フジカセットの広告シリーズの第1回撮影がスタート。

3月21日
ライブ・アルバム『パブリック・プレッシャー』がオリコン1位に。初の国内ツアーもスタート。

4月23日
日本武道館で行われたイベント「写楽祭」に出演。

6月5日
アルバム『増殖』発売。オリコン1位に。

6月21日
シングル『ライディーン』発売。

2枚目のシングル「ライディ ーン」のジャケット。
2枚目のシングル「ライディーン」のジャケット。

10月2日
有楽町の外国人記者クラブで2度目のワールド・ツアー発表記者会見を行う。

10月11日
この日のイギリス・オックスフォード公演を皮切りに、ドイツ、オランダ、スウェーデ
ン、フランス、イタリア、アメリカを回るワールド・ツアーがスタート(〜11月14日)。

11月2日
アメリカの人気音楽番組「ソウル・トレイン」に出演。

11月7日
ロサンゼルスから日本に向けて衛星中継コンサートを行う。

12月20日
シングル『タイトゥン・アップ』発売。

12月24日
日本武道館公演(〜12月27日)

12月31日
『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』が日本レコード大賞ベスト・アルバム賞受賞。

1980年10月にスタートした2回目のワールド・ツアーのパンフレット。
1980年10月にスタートした2回目のワールド・ツアーのパンフレット。

1981年

3月21日
アルバム『BGM』発売。

4月21日
シングル『キュー』発売。

9月5日
シングル『マス』発売。

11月21日
アルバム『テクノデリック』発売。

11月24日
国内ツアー「ウィンター・ライヴ」開始。


1982年

2月21日
シングル『体操』発売。

1982年発売の6枚目のシングル「体操」のジャケット。
1982年発売の6枚目のシングル「体操」のジャケット。

3月27日
「オレたちひょうきん族」(フジテレビ)に、カメオ出演。

3月30日
「THE MANZAI」(フジテレビ)に、コント・トリオ〝トリオ・ザ・テクノ〞として出演。

4月15日
フジテレビ「ミュージックフェア」に出演。

8月21日
坂本龍一が大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』の撮影のため、ラロトンガ島に出発。

10月20日
アルバム『浮気なぼくら』のレコーディングがスタート。


1983年

3月25日
カネボウ化粧品のCMとタイアップしたシングル『君に、胸キュン。』発売。

ymoのシングルでは最も売れたという7枚目の「君に胸キュン。」。
YMOのシングルでは最も売れたという7枚目の「君に胸キュン。」。

5月24日
アルバム『浮気なぼくら』発売。オリコン1位に。

7月27日
シングル『過激な淑女』発売。

9月28日
シングル『以心電信』発売。

10月15日
雑誌『GORO』のインタビューでYMOの散開(解散)について言及する。

11月23日
「1983 YMO JAPAN TOUR」が、札幌からスタート。

12月14日
アルバム『サーヴィス』発売。


1992年

7月25日
バルセロナ・オリンピックが開幕。坂本龍一が開会式の音楽、指揮を手掛ける。

11月24日
山本耀司の個人スタジオで、新作アルバム『テクノドン』の準備が始まる。


1993年

1993年発売の再生ymoの初シングルはプレスリーのカバー曲。
1993年発売の再生YMOの初シングルはプレスリーのカバー曲。

2月25日
新聞でYMOの再結成が報道される。

4月1日
フォーシーズンズホテル椿山荘東京で、YMOの再生記者会見が行われる。

4月28日
シングル『ポケットが虹でいっぱい』発売。

5月26日
アルバム『テクノドン』発売。

11枚目のシングル「ビー・ア・スーパーマン」のジャケット。
11枚目のシングル「ビー・ア・スーパーマン」のジャケット。

6月10日
東京ドーム公演(〜6月11日)。

8月25日
シングル『ビー・ア・スーパーマン』発売。


2001年

nhk bs放映の「細野晴臣 イエ ローマジックショー」のdvd。
NHK-BS放映の「細野晴臣 イエローマジックショー」のDVD。

1月23日
NHK-BSで「細野晴臣 イエローマジックショー」が放映され、3人が揃ってドテラ姿で「ライディーン」を演奏。

4月30日
TBSの特別番組「地雷ZERO21世紀最初の祈り」で3人が揃って演奏。


2002年

8月9日
東京・青山のスパイラルホールで行われた細野晴臣+高橋幸宏のユニット「スケッチ・ショウ」のライブに坂本龍一がゲストで参加。

12月3日
東京・渋谷AXでのスケッチ・ショウのライブに坂本龍一がゲストで参加。


2004年

6月18日
スペイン・バルセロナで行われた「sonar festival 2004」で、スケッチ・ショウ+坂本龍一のユニット、「Human Audio Sponge(HAS)」が初ライブ演奏。

10月10日
東京で行われた「sonar sound tokyo 2004」でコーネリアス(小山田圭吾)をゲストに迎えてHASがライブを行う。


2007年

2月1日
ビールのCMにYMOとして登場。そのためにレコーディングされた「RYDEEN 79/07」が、BGMとして流れる。

ビールのcmソングに使われた12枚目 のシングル「rydeen 7907」。
ビールのCMソングに使われた12枚目のシングル「RYDEEN 79/07」。

2月3日
シングル「RYDEEN 79/07」がダウンロードで先行発売される。

5月18日
坂本龍一が主宰する森林保全団体「モア・トゥリーズ」の発足記念イベントで、細野晴臣、高橋幸宏を迎えてYMOの鼎談が行われる。

5月19日
パシフィコ横浜にてHASの発展系ユニット、「HASYMO」のコンサート開催。

7月7日
世界規模のチャリティ・イベント「Live Earth」の京都会場で、イエロー・マジック・オーケストラ名義で出演。

チャリティ・イベント「live earth」の京都での公演の様子。
チャリティ・イベント「Live Earth」の京都での公演の様子。

7月28日
日比谷野外音楽堂で坂本龍一、高橋幸宏も参加した細野晴臣トリビュート・コンサート開催。

8月22日
HASYMO名義の『RESCUE』と、YMO名義の『RYDEEN 79/07』をカップリングしたシングル発売。


2008年

スペイン・ヒホンで行われたymo単独公演のポスター。
スペイン・ヒホンで行われたYMO単独公演のポスター。

6月15日
ロンドン「メルトダウン・フェスティヴァル」にYMOとして出演。

6月19日
スペイン・ヒホンで単独公演。

8月6日
HASYMO名義でシングル『The City Of Light』発売。

8月10日
東京・夢の島での野外フェスティバル「ワールド・ハピネス2008」にHASYMO名義で出演。


2009年

8月9日
「ワールド・ハピネス2009」にYMO名義で出演。


2010年

4月21日
YMOが演奏で2曲に参加したCDブック『commmons:scholavol.5』発売。

8月8日
「ワールド・ハピネス2010」出演。

9月14日
YMOとして出演した菓子“ポッキー”のCMがオンエア開始。BGMは「ライディーン」。


2011年

6月15日
坂本龍一が監修した新しいベスト盤『YMO』発売。

6月26日
ロサンゼルスのハリウッド・ボウルでチャリティ・イベント「ビッグ・イン・ジャパン」に出演、ヨーコ・オノと共演。

「ビッグ・イン・ジャパン」が開催された、laのハリウッド・ボウル。
撮影=吉村栄一
「ビッグ・イン・ジャパン」が開催された、LAのハリウッド・ボウル。

6月27日
サンフランシスコで単独コンサート。

2011年6月、単独コンサートが行われたサンフランシスコの劇場。
撮影=吉村栄一
2011年6月、単独コンサートが行われたサンフランシスコの劇場。

7月31日
新潟で行われた「フジロックフェスティバル」に出演。

8月5日
NHKで特別番組「YMONHK」の収録が行われる。

8月7日
「ワールド・ハピネス 2011」出演。


2012年

7月7日
坂本龍一の呼びかけで始まった脱原発イベント「NO NUKES 2012」に、3人が揃って、クラフトワークらとともに出演。

8月1日
『Fire Bird』を配信でのみ発売。

8月12日
「ワールド・ハピネス2012」出演。

12月12日
「高橋幸宏 60th Anniversary Live」に細野晴臣が客演し、坂本龍一もビデオメッセージを贈る。


2013年

3月9日
「NO NUKES 2013」出演。

8月11日
「ワールド・ハピネス2013」のワンコーナーのオールスター・バンド「ジ・おそ松くんズ」に3人も参加。


2014年

11月21日
東京ビッグサイトで行われた「楽器フェア」でYMO楽器展開催。


2015年

クラフトワークも出演したイベント 「no nukes 2012」のライブ盤。
クラフトワークも出演したイベント「NO NUKES 2012」のライブ盤。

8月5日
アルバム『NO NUKES 2012』発売。


2016年

4月8日
恵比寿ガーデンルームで行われたイベント「commmons10健康音楽」の前夜祭でのトークショー「高橋幸宏の新世界〜出張特別編」で3人が登壇。


2018年

6月23日
ロンドンのバービカン・センターで行われた細野晴臣のコンサートに、坂本龍一、高橋幸宏が飛び入り参加し、演奏。


2019年

今年3月に開催された「イエロー・ マジック・チルドレン」のポスター。
今年3月に開催された「イエロー・マジック・チルドレン」のポスター。

1月1日
NHK‐BS4K(および2日プレミアム)で、「細野晴臣 イエローマジックショー2」が放映され、3人が揃って出演。

3月14日
新宿文化センターで、YMOチルドレンのミュージシャンたちによるトリビュート・コンサート「イエロー・マジック・チルドレン(YMC)」開催。細野晴臣、高橋幸宏も客席で観覧。


みうらけんじ〇写真家。1949年、広島県生まれ。73年からレッド・ツェッペリン、ピンク・フロイド、サンタナなど数多くのミュージシャンを撮影。今年8月に、YMOの写真集『40 ymo1979-2019』を刊行予定(現在は発売中)。


よしむらえいいち〇ライター・編集者。1966年、福井県生まれ。『広告批評』の編集者を経て独立。著書に『評伝デヴィッド・ボウイ 日本に降り立った異星人(スターマン)』など。YMO関連の仕事多数。本特集の編集協力も行う。2023年2月、坂本龍一の生誕から現在までの人生における音楽の歴史を包括した評伝『坂本龍一 音楽の歴史』を上辞。


1stアルバム『Yellow Magic Orchestra』ワールドワイド版のアートワークが、豪華絢爛な「TechnoByobu(テクノ屏風)」に!

アーティストのルー・ビーチ氏が手掛けた、YMO世界デビュー時のワールドワイド版1stアルバム『Yellow Magic Orchestra』のアートワークが、118年の歴史を持つ広島の老舗歴清社の技術により洋金箔の屏風になります。

テクノ屏風
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撮影=三浦憲治 文=吉村栄一 編集=谷口恭子(婦人画報編集部)

『婦人画報』2019年7月号より