1916年、趣に満ちたログキャビン風の住居がローレル・キャニオン通り2401番地に建てられました。その3階建ての巨大な邸宅には1レーンのボーリング場や螺旋階段が設置された人工の洞窟があり、広大なリビングルームには花崗岩(かこうがん)の暖炉も設置されていました。

建設当時、ハリウッドの映画撮影所に近いローレル・キャニオンには多くの俳優たちが住んでいましたが、この屋敷にはトム・ミックスという、20世紀初頭から多くの西部劇で活躍した西部劇俳優が暮らすようになります。そんな彼は、まだ駆け出し俳優だった時代のジョン・ウェインやロナルド・レーガン(元米国大統領)に多大な影響を与えた人物です。のちに役者として成功すると、ビバリーヒルズに引っ越していきます。

家賃は月700ドル。雑草だらけの庭には池、裏側の斜面には漆喰で固められた洞窟がいくつもあったよ
― フランク・ザッパ―
 
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漆喰でつくられた人工の洞窟があるログキャビンの裏庭で、娘のムーンを抱くフランク・ザッパ。

その後、このログキャビンは、あらゆるフリークたちに知られる有名なバー&隠れ家となり、1968年に成功を手にしたばかりのアーティストが引っ越してきます。それは、当時のポピュラー音楽を前衛の域にまで高めた天才ミュージシャン、フランク・ザッパです。


|狂乱の宴を横目に、音楽に向き合う毎日

 
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フランクとマザーズ・オブ・インベンションのメンバー。奥にある絵画の脇に座るのが妻のゲイル。

1968年、自ら率いるバンド、マザーズ・オブ・インベンションのデビューアルバム「フリーク・アウト!(Freak Out!)」と、翌年に発表した名盤「アブソリュートリー・フリー(Absolutely Free)」で高い評価を集めたフランク・ザッパ。さらにヨーロッパツアーでの成功までもを引っ提げて、フランクは妻のゲイル、娘のムーンユニット、バンドスタッフの合計8人でローレル・キャニオンへ引っ越してきました。

The Mothers of Invention「Freak Out!」
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Hungry Freaks, Daddy
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ローレル・キャニオン在住のアーティストの多くが出演したクラブ、「ウィスキー・ア・ゴー・ゴー」で演奏するマザーズ・オブ・インベンション。当時の若者たちの熱狂ぶりがわかります。
 
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上の写真と同じく、「フリーク・アウト!」と名づけられたライブの一コマ。奥のステージ上にはギターを演奏するフランクの姿も見えます。

フランクがこのログキャビンで暮らし始めると、有名無名問わず多くのミュージシャンたちが昼夜問わず出入りするようになります。そればかりか、家庭教師という名のグルーピーたちや、得体の知れない取り巻きなどが住み着き、巨大なログキャビンはあっという間に狂気のロックンロール・サロンとなってしまいました。妻のゲイルは当時のことをこう振り返っています。

「フランクにとってあの家は、興味深い音楽の実験室でもあったね。でも、バンドメンバーや多くのクルーたちが一緒に暮らすようになり、娘が生まれたばかりの私にとってはとても暮らせるような家ではなかったね」

フランクたちがこのログキャビンで暮らし始めると、ジョニ・ミッチェルやデヴィッド・クロスビーなどのローレル・キャニオンの住人たちだけでなく、イギリスからも多くのロックスターが訪ねてくるようになりました。

 
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1963年にデビューし、当時すでに飛ぶ鳥を落とす勢いだったミック・ジャガー。この写真の撮影当時(1968年)は俳優としての活動も開始していました。
 
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イギリスのロックバンド、ピンクフロイド。そのメンバーの中から、リチャード・ライト(左)とデヴィッド・ギルモア(右)。

ローリング・ストーンズのミック・ジャガーは当時の恋人、マリアンヌ・フェイスフルと数回訪れ、彼らはセッションを楽しみ、歴史や政治についてザッパと語り合いました。ピンクフロイドのロジャー・ウォーターズとデヴィッド・ギルモアは、フランクが新曲のテープをかけると、どんなに出来の悪い曲でも頷きながら真剣に聴いていました。ロッド・スチュワートとジェフ・ベックもログキャビンに連絡なしでやって来ては、入り浸っていたということです。

いずれも当時のフランクよりも、はるかに名声を得たスターでした。が、彼らはフランクをとても尊敬していたのです。しかし、高校の同級生でもあるミュージシャン、キャプテン・ビーフハートは例外として、フランクはその後ロックスターたちとの付き合いを控えるようになります。

ドキュメンタリー映画『ZAPPA』日本版
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あらゆる芸術における先駆者フランク・ザッパの革新的人生に迫る、初の遺族公認ドキュメンタリー映画『ZAPPA』日本版予告編【2022年4月22日公開】
あらゆる芸術における先駆者フランク・ザッパの革新的人生に迫る、初の遺族公認ドキュメンタリー映画『ZAPPA』日本版予告編【2022年4月22日公開】 thumnail
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フランクは午後2時から4時の間に起床し、郵便物のチェックをした後、午後6時から10時まで地下室でバンドのリハーサルを行いました。その後は大きなリビングルームの隅へ行き、ピアノとデスクの横に陣取って作曲に没頭するのです。そして午前6時頃にはベッドに倒れ込む毎日だったということです。

ログキャビンに出入りするグルーピーやミュージシャンたちの乱痴気騒ぎを横目で見ながら、フランクは真摯に仕事に向き合っていました。彼は完璧な仕事人間でした。

地下ではバンドが爆音で演奏し、広大なリビングルームでは男女入り乱れるダンスパーティが頻繁に開催されます。もちろん近所からの苦情が殺到して、警察官がやってくることも珍しくありませんでした。

 
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ログキャビンで暮らしていた頃のフランクとゲイル、娘のムーンユニット。

ところが、ある夏の午後に事件が起こります。フランクがログキャビンのリビングルームに座っていると、鍵の掛かっていない玄関から「ザ・レイブン」と名乗る狂った若者が突然侵入してきました。そして、血の入った瓶と陸軍の45口径の銃を取り出してフランクを脅したのです。

フランクは勇気を出してその若者を説得し、銃を裏庭の池に捨てさせて難を逃れました。ですが、この事件をきっかけにフランクと妻のゲイルは、渓谷のより安全な場所に引っ越すことを決意します。

昼夜鳴り響くバンドの騒音や得体の知れない人物の出入りで、このログキャビンは悪い意味でも渓谷に知れわたっていました。物騒な人の出入りに加えて、建物自体が修復不可能なほどに老朽化が進んでいたことも引っ越しの決め手になったということです。

|音楽と生活とアートに満たされた渓谷の邸宅

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Hidehiko Kuwata
ウッドロウ・ウィルソン・ドライブ7885番地にあるフランク・ザッパが暮らした家。

ザッパ一家のログキャビンでの生活はわずか4カ月で終わり、一家はママス&ザ・パパスのキャス・エリオットの邸宅があるウッドロウ・ウィルソン・ドライブへと引っ越すことになります。

フランクが新たに当時7万5000ドルで購入したその邸宅には、6つのベッドルームと5つのバスルームを備えたチューダー様式の母屋と、スイミングプール、屋上テニスコート、スタッフ用アパートメントがありました。

入居後フランクは増改築を繰り返し、後に「Utility Muffin Research Kitchen(ユーティリティ・マフィン・リサーチ・キッチン)」と呼ばれるレコーディングスタジオをはじめ、アートギャラリーも設けました。

フランク・ザッパが25年間暮らした邸宅
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SOLD | Frank Zappa's Former Laurel Canyon Estate
SOLD | Frank Zappa's Former Laurel Canyon Estate thumnail
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Donna Santisi//Getty Images
二男二女をもうけ、ローレル・キャニオンの地で家族との時間も大切に過ごしたフランク。

西海岸の爽やかな陽光が差し込むこの邸宅、はフランクの終の住処となります。彼は1993年に52歳の若さで亡くなるまで、妻のゲイルとの間にさらに3人の子どもをもうけ、60作近い驚異的な数のアルバムをリリースしました。ゲイルは2015年に自身が亡くなるまでこの家で暮らしました。そして2016年の夏、売りに出されていたこの家はレディ・ガガによって購入されました。

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Donato Sardella//Getty Images
この屋敷を購入した現在のポップスター。レディ・ガガが購入した際にはベッドルーム7室、バスルームは6室に増築されていました。

ザッパ一家が引っ越した後、ローレルキャニオン通りのログキャビンにはジ・アニマルズのボーカル、エリック・バードンが引っ越してきました。その後、1981年のハロウィンに火災が起こり、ログキャビンは焼失。現在も空き地になったままです。

 
Hidehiko Kuwata
ローレル・キャニオン通り2401番地のログキャビン跡地。
 
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次回は、アサイラム・レコードを立ち上げ、ロサンゼルスのミュージックシーンで大きな影響力を持ったデヴィッド・ゲフィンを中心に、イーグルスら70年代初頭に登場したミュージシャンを紹介していきます。

*連載6回目「ローレル・キャニオンの記憶|6_デヴィッド・ゲフィンの奔走」へ続きます*