「日長きこと至(きわまる)る」の今月21日夏至を過ぎると、本格的な夏へ備える時期を迎える。僕は季節折々に掛け軸や画を掛け替えたり、好みの大小の壺などを出し入れしているが、この極まった日に第48話で述べた古常滑破れ壺を箱に蔵(しま)い、久方ぶりに奥から大きな箱を引っ張り出した。

中には、第38話で登場した備前焼の兄弟(実際に判別の難しいものもある)とも言える古丹波の大壷が入っている。前述の古常滑に備前、第30話で述べた信楽とともに、中世から連綿と焼きもの制作が続けられている六古窯(残るは瀬戸と越前焼)の一つである。

白洲信哉,白洲正子,白洲次郎,古丹波
写真提供:白洲信哉
「古丹波大壺」、高さは42.5センチメートル。

京の都北西に位置し、山陰道への起点でもある丹波国は、古来より要衝(ようしょう)の地であった。平安時代末期頃に産声をあげた丹波焼は、主に無釉の壺や甕(かめ)、そしてすり鉢。つまりは生活のための陶器を長らく量産してきた。江戸期には小堀遠州など茶人の指導により茶陶を生産したりしてきたが、一般に丹波焼の名がわが国を代表する窯業地として認められるようになったのは昭和に入ってからのことである。

かつて丹波焼を作っていた篠山の今田町一帯は、摂津住吉神社の荘園「小野原荘」と称していたことから「小野原焼」とも呼ばれていたという。民芸運動の創始者 柳宗悦は、関東大震災の被災先であった京都から、丹波布の織物調査で丹波中心街篠山を訪れた折、丹波古陶館の創設者中西幸一氏と運命的な出会いを端緒に丹波焼に惚れ込んでいく。

白洲信哉,白洲正子,白洲次郎,古丹波
写真提供:白洲信哉
窯印。なんともユニークな、印というより一幅の絵画のようだ。

「この一冊は丹波本来の古陶が示してくれる美しさへの礼賛なのである。それ等の品々を通し、充分日本の焼物の独自の美しさを語れると思ふのである。勿もその美しさこそ、日本の美の理念を最も具体的に示しているものと言へよう。更に又美そのものに潜む秘儀を、特に他力美の意義を、最もよく教えているものと思へる」

柳宗悦は著書『丹波の古陶』の中でその魅力を語り、六古窯の中で唯一民芸の範疇に収まり300点を超えるコレクションを構築した。だが、柳が見出した丹波焼は、主に江戸期の入ってからの徳利や器などモダンなモノ、洋間や石壁など現代的な空間に飾ると誠にしっくりくるが、僕が好む丹波焼の中世無釉の古陶とは同じ産地の焼きものでも趣を異にする。一般に秀吉の朝鮮出兵を機に、全国各地の窯は、長い穴窯(あながま)の歴史に別れを告げ、新しい登り窯に移行していった。

だが穴窯時代の、長時間焼成により焼き締められた紐作り積み上げの力強い造形と、窯の中で偶然に生まれた明るく鮮烈な緑色の自然釉が、古丹波最大の魅力となっている。

白洲信哉,白洲正子,白洲次郎,古丹波
写真提供:白洲信哉
大壺の底部も力強い。

今回古丹波の大壺を太陽光の入る部屋に初めてさらしてみたら、光線の具合による趣の異なる景色が僕を喜ばせる。荒い山土を胎土とする雑器に徹した工人たちが、炎との戦いの中からあの剛直な姿を生み、半農半陶の生活の中で何百年もの間日常雑器として使うことにより、内部からまるで水がにじみ出てきたかのように、今でも生き生きと光沢がある。

第30話で触れた写真家の土門拳は、『古窯遍歴』の中で次のような言葉を残している。

「1962年2月、美濃大萱の里で絵志野の陶片を見た。その年の10月、丹波三本峠で半ば崖潰しかかった穴窯を見た(中略)ぼくは、その行く先々で縄文・弥生から連綿とつづく日本の『古代的なるもの』を感じとったのである」

この「古代的なるもの」それが穴窯から生まれた焼きものであり、効率のいい登り窯から生まれたもの、まして電気やガス窯などからの作品とは火と格闘した力強さに欠けると思う。また、穴窯のような多くの薪を必要とする不経済な窯だからこそ、ときに形がくずれた失敗品に趣あるモノが混ざっている。数寄とはまた不満足に満足を感じることで、モノの不完全さがお茶の世界でも賞翫されていく。

白洲信哉,白洲正子,白洲次郎,古丹波
写真提供:白洲信哉
大壺裏部は、釉色はないが赤く健康的である。

丹波古陶館には、先に触れた中西幸一氏の生涯をかけたおよそ700年に渡る丹波焼のコレクションが実に周到に分類展示してある。特に気品ある最初の部屋には、茶陶や民芸とは一線を画した中世の壺が並んでいるし、毎年10月に行われる陶器祭りや、そろそろ20年になる兵庫陶芸美術館など、機会があれば丹波篠山という古い城下町の風情とともに、是非現地を訪ね見学して欲しいと思う。


◇案内

丹波古陶館
丹波古陶館では、丹波焼の創成期から江戸時代末期に至る700年間に作られた代表的な品々を、年代・形・釉薬・装飾等に分類して展示。兵庫県指定文化財に指定された「古丹波コレクション(312点)」をはじめとする美しい生活の器の数々が鑑賞できる。

兵庫県丹波篠山市河原町185
TEL 079-552-2524
公式サイト

兵庫陶芸美術館
全県的な陶芸文化の振興を図るとともに、陶磁器を通した人々の交流を深めることを目的として設立された美術館。美術館事業はもとより、次世代の陶芸文化を担うための創作・学習事業を行うほか、地域の文化資源や豊かな自然環境をいかしたエコミュージアム的環境を創出することを目指している。

兵庫県丹波篠山市今田町上立杭4
TEL 079-597-3961
公式サイト


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写真提供:白洲信哉

白洲信哉

1965年東京都生まれ。細川護煕首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。その一方で日本文化の普及につとめ、書籍編集、デザインのほか、さまざまな文化イベントをプロデュース。父方の祖父母は、白洲次郎・正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。主な著書に『小林秀雄 美と出会う旅』(2002年 新潮社)、『天才 青山二郎の眼力』(2006年 新潮社)、『白洲 スタイル―白洲次郎、白洲正子、そして小林秀雄の“あるべきようわ”―』(2009年 飛鳥新社)、『白洲家の流儀―祖父母から学んだ「人生のプリンシプル」―』(2009年 小学館)、『骨董あそび―日本の美を生きる―』(2010年 文藝春秋)ほか多数。近著は、『美を見極める力』(2019年12月 光文社新書刊)。