フェラーリは2021年2月に、「2023年に世界耐久選手権(WEC)のトップカテゴリー「LMH」(ル・マン・ハイパーカー<2021年よりFIA 世界耐久選手権 の最高峰クラスとして使用されるスポーツプロトタイプカー規定>)に参入する」という意向を表明していました。つまりこれによってフェラーリは、2023年から耐久レースの最高峰の領域でトヨタ、プジョー、グリッケンハウス、バイコレスらとハイパーカーの開発競争を繰り広げることになります。

そうして期待に胸を膨らまる人も多い中、「2022年WEC第3戦/第90回ル・マン24時間 決勝」が開催される前日の2022年6月10日(現地時間)というタイミングで、かつてその名を轟(とどろ)かせたレース「ル・マン24時間レース」に2023年に復帰を果たすことを私たちに再確認させてくれたのです。

フェラーリ公式サイト内では、「1973年以来、実に50年振りにル・マン24時間レースのトップカテゴリーに参戦することになる」とティザーを公開。さらに、新型マシンのディテールも初披露しました。

これはxの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。

そのティザーの文面には、こう記されています。

「10 June 1973, 4 p.m. The chequered flag waves at the last 24 Hours of Le Mans in which Ferrari were entered in the top class(1973年6月10日午後4時、ル・マン24時間においてフェラーリはトップクラスでチェッカーフラッグを受けました)」と。

しかしながらフェラーリはなぜ、このティザーの文面で「1973年」という年に触れたのでしょうか? 確かにこの年は、フェラーリにとって最後のファクトリー参戦となった年です。しかし、ル・マンにおいてはフェラーリ「312PB」はマトラ・シムカ「MS670B」との一騎打ちの末に敗れ去った年でもあります。

その後のフェラーリは、1994年に「312PB」以来21年ぶりにIMSA(国際モータースポーツ協会)およびWSC(スポーツカー世界選手権)参戦用として「333SP」を開発しています。そのマシンはその年のIMSA第3戦ロードアトランタでデビューすると、ワンツーフィニッシュを飾りました。さらにこのシーズンは計5勝をするも、途中参戦だったためシリーズ2位とはなりましたが、復活の狼煙(のろし)を大きく世に示したマシンなのです。

そして1995年にも「セブリング12時間」で、フェラーリにとって23年ぶりの優勝を飾っています。同年は「ル・マン24時間」にも参戦しましたが、これは惜しくもリタイヤ。1996年にもこのマシンで同レースに参戦しますが、入賞はせずファスステストラップはマークしています。

続いて1997年および1998年には、「セブリング12時間」で連続優勝を果たしています。「デイトナ24時間」に関して触れれば、1996年および1997年は2年連続で2位に甘んじますが、1998年には27年ぶりの優勝を果たすという活躍をしているのです。

このように1990年代にも、フェラーリはいくつものレースでトップクラスの戦績を収めてきました。それを思えば、なぜフェラーリが今回の宣言で“1973年”という年にフォーカスするのか? 不可解な一面もあります。

 
Bernard Cahier//Getty Images
1973年、タルガ・フローリオに参戦する「312PB」。

そんなフェラーリは最後のファクトリーエントリーでありながらも、前述のようにマトラ・シムカと対戦して敗れた「312PB」のトリオ(1973年ル・マンに参戦した3台)について言及しています。

この3台は間違いなくフェラーリのマシンではありますが、ル・マンで好成績が残せなかったことやライバル以上に目立った存在ではなかったことなどから、フェラーリのThe Circuit de la Sarthe(シルキュイ・ドゥ・ラ・サルト=正式名はCircuit des 24 Heures du Mans<ル・マン24時間サーキット>)における歴史という観点からは、印象の最も薄いマシンと一つという声が根強く残るのも事実なのです。「それなのに、なぜ?」と思ったのは私だけではないでしょう?

ちなみに当時のライバルであったマトラ・シムカのほうを見れば、その予算規模の面から見てもフォードやポルシェよりも少額。その上、確かに70年代初頭…1972~1974年のル・マン24時間で3連覇を果たし、当時大きな話題にはなりましたが、今やほとんど話題に上ることがない自動車メーカーとなっています。

そうして1994年になるとフェラーリは、「312PB」以来21年ぶりにIMSA(国際モータースポーツ協会)およびWSC(スポーツカー世界選手権)参戦用に「333SP」を製作します。その成績は下記で解説するように、「活躍」という言葉に値するほどの成績を記録しています。それでもフェラーリは、「表に出すものではない」と考えているようです。

1990年代にル・マンも沸かせた「333SP」

そもそも「333SP」というマシンは、ステアリングメーカー「MOMO」の社長であり現役レーサーでもあったジャンピエロ・モレッティが、フェラーリ副社長のピエロ・ラルディ・フェラーリに提案したことから始まったマシンです。

その計画に関しては、フェラーリF1部門であるスクーデリア・フェラーリのものではなく、その子会社であるフェラーリ・エンジニアリングになります。そして、自動車メーカーおよびレーシングカーコンストラクターであり、モータースポーツ専門メーカーとしてフェラーリと関係の深かったダラーラ・アウトモビリ S.p.A.が、イギリス出身のレースカーデザイナーであるトニー・サウスゲートの協力を得てデザインは仕上げられ、ダラーラ・アウトモビリ S.p.A.が製作を担当して誕生したモデルになります。

そのマシンは、プライベーターへの供給のみを目的とした専用車両ではありましたが、フェラーリのF1マシン由来のエンジンを積んでいるだけでなく、フェラーリのエンブレムまで付けていました。さらに「333SP」は、決して短命に終わったプロジェクトでもなく、前述のとおり90年代はル・マンを含め何度もレース界を沸かせたマシンなのです。

 
RacingOne//Getty Images
1998年のデイトナ24時間レースで優勝した「333SP」。

ですが今回、2023年の「ル・マン24時間」復帰参戦に投入される最新のハイパーカーおいて、そのマシンの系譜を語る上でフェラーリは「333SP」を“無視する”とも言えるカタチを取ったのです。

思うにこの「333SP」は、「312PB」とは異なって「フェラーリの根本理念の中の顔のひとつとして、歓迎されるものではない」という判断になります。その点についてカーメディア「Road & Track」がフェラーリ側に質問すると、広報の答えとして「『312PB』と『333SP』における重要な違いは、 『333SP』プライベーターへの供給・サポート目的で開発製造されたマシンであることです」、と述べています。

つまりフェラーリとしては、『333SP』の戦績および活躍は「フェラーリ自身の歴史の中の一部ではない」と考えている…と推測できます。ファクトリー参戦という意味において「312PB」こそが、2023年にデビューするまだ名もなきハイパーカーに直結する存在であると解釈しているのです。

現状ではロードカーのような趣。果たして実際は?

「333SP」の場合とは異なり、今回の最新のプロトタイプカーがフェラーリの根本理念の中の位置づけられることに疑問の余地はありません。このニューマシンについての詳細はいまだ明かされてはいませんが、「ル・マン・ハイパーカー」の技術規制にのっとって開発製造され、2023年度のFIA世界耐久選手権(WEC)のフルシーズンをピアチェンツァに本拠地を置くフェラーリのセミワークスチーム「AF Corse Srl(AFコルセ)」からエントリーされることも判明しています。

そんなニューマシンですが、公表されたティザーからはいわゆるプロトタイプカー(編集注:新技術を採用し、純粋なレーシングカーとしてつくられ、市販はされない車)と言うよりも、もはや立派なロードカー(編集注:カーレースに用いられる競技用車両のベースとなる車両)としての外観を擁しているように見えます。とは言え、全体の1割にも満たないフロント部分だけを見て、そう判断するのは早計かもしれません。

一つ確実に言えることは、もしこの車が2023年の「ル・マン24時間」の勝利を手にすれば、それはフェラーリにとって実に60年ぶりの栄冠ということになるということです。そればかりではありません。2023年は、このレースの100周年という記念すべき年でもあります。その長い歴史の中で、かつて最も多くの勝利を手にしてきたカーメーカーが見事な復権を果たすことになる…それは、レースファンばかりでなく世界が歓喜する大きな事件にもなるでしょう。

Source / Road & Track
Translation / Kazuki Kimura
※この翻訳は抄訳です