全2917文字

 先日ある勉強会で「視野の縮小、視座の低下」と題して10分ほど話をした。ここ1、2カ月の間に見聞きして驚いたことを6点挙げ、いずれの事例も当事者の視野が狭い、あるいは視座が低いことが問題の原因だと述べた。

 6点の具体的な説明はあえて省くが、何らかの業務を処理する情報システムを設計し、開発し、動かす際に当然やるべき基本的な取り組みがすっぽり抜けており、しかもそれに誰も気づかないという事例であった。

 「メインフレーム老人の知恵」と書いたのは「当然やるべき基本的な取り組み」はコンピューターといえばメインフレームだった時代に既にあったからだ。メインフレームに固有の知恵ではない。いつの時代であっても業務システムの開発や運用に必須の知恵である。

 例えばたばこを吸うときには灰皿を用意し、吸い終わったら火を消して灰皿に捨てるといった類の知恵だ。だが灰皿を用意せずに火の付いたたばこをそのまま床に捨ててしまい、誰もとがめないので火事になったりしている。

 基本の知恵が後進に伝えられていない。「Web青少年」と書いたのはシステムを今作ろうとするとWebの環境で行うことになる、といった程度の意味である。

老人から青少年へ物事を伝えられない理由

 なぜ伝えられないのか。何といっても年齢の差は大きい。「メインフレーム老人」は大体60歳以上、「Web青少年」は35歳未満だろう。これだと老人が「今どきの若者はものを知らない」と言っているように青少年は聞いてしまう。だから受け入れてもらえない。分かりやすく説明しようと体験談を老人が持ち出すと、自慢話のようになって普遍の知恵が埋もれてしまう。

 そもそも昔話は聞いてもらえない。情報システム関連の技術は日進月歩だ。最新の技術を身に付けるべきであり、過去の技術など無用の長物とする風潮がある。確かにプログラミングの環境やクラウドコンピューティングのような実行環境はメインフレーム時代とは比べものにならないくらい進化している。とはいえ最新の技術は昔からある基本の知恵の上に生まれたもので、過去から断絶しているわけではない。

 視野を広げ、視座を高めることの難しさもある。昔からあり今も生きている知恵であっても体験したことがないとなかなか腹に落ちない。誰でも自分で経験し、見聞きした範囲で物事を考え、判断する。「あなたが見てきた世界は狭い。〇〇が抜けている」と言い切られたら、過去の経験や体験を全否定された気分になってしまうので受け入れがたい。

 言葉の定義が一致しないこともある。ある言葉を聞いて思い浮かべる物事にずれがあったら意思疎通が難しくなる。老人から青少年に何かを伝えることに限らずいろいろなところで見られる問題だ。ここまでの文章で使った「情報システム」「プログラミングの環境」と聞いて、何を想起するかは人によって異なる。前者をコンピューターとアプリケーションソフトウエアとみなす人もいれば、現場にいる担当者と業務プロセス、そこで発生するデータまで含める人もいる。後者をプログラミング言語とコンパイラーとする人もいれば、GitHubのようなソースコードのリポジトリーまで含める人もいる。

 「視野の縮小、視座の低下」が見て取れた6点の事例や「業務システムの開発や運用には必須の知恵」を具体的に一切書いていないため、奥歯に物が挟まったような記述になってしまった。具体的に書くとそこで使われる言葉が目に飛び込んで、何かを想起し、反射的に「これは引き継ぐ必要がないもの」などと言われてしまう。そういう反応を避けたかった。