その83 戦没者遺骨の戦後史(29) 埋葬地にあった米軍?の迷彩服
毎日新聞
2021/2/25 09:00(最終更新 2/25 09:00)
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「一度だけね、母親が赤ん坊の私を連れて基地を訪ねた時、父親が私を抱いてくれたそうです」。男性はそう話した。2012年7月、私が参加した硫黄島(東京都小笠原村)での遺骨収容団で、一緒になった人だ。68歳(当時)。遺族の中では「若手」だ。
電気工事の仕事や趣味のスキューバダイビングで鍛えた体はいかにも頑丈で、東京から1250キロ南、太陽光が照りつける収容の現場で力仕事を積極的に引き受けていた。男性の父親は潜水艦に乗っていて、1945年5月、宮崎県沖で戦死した。その時、男性は1歳。父親の記憶は全くない。それでも、「自分を抱いてくれた」という母親の言葉を胸に、男性は長い戦後を生きてきた。
「父と硫黄島は直接関係はありません。けれど同じ戦争で亡くなった方の遺骨だから。気持ちに区切りがつきました」
記憶のない父の遺骨を探す気持ち
「8月ジャーナリズム」=戦争報道を一年中している常夏記者こと私は15年以上、戦没者遺骨の収容問題を取材している。戦争で亡くなった肉親を思い、その遺骨を探す遺族の強い気持ちを聞くと、「戦争は国策。政府が一体でも多く収容し、遺族の元に返さなければ。それを後押しするような報道をしたい」と思う。
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