英国南西部コーンウォール州のティンタジェルは、大西洋を臨む岩がちな岬だ。2016年の夏、ここで見つかったある遺構と出土品が注目を集めた。
理由のひとつは、ティンタジェルがアーサー王が生まれたとされる場所だったからだ。だが同時に、伝説の偉大なブリタニアの王との関係はさておき、それらは考古学的にも「信じられないほど重要な発見」だった。
発掘調査で出土したのは、巨大な石造りの要塞跡、遠くアジア(現在のトルコ)から輸入されたぜいたくな品々だ。これらはすべてローマ帝国の支配が崩壊した西暦400年以降の時代のものだった。
歴史的文献において、アーサーという名の指導者に言及している最古の記述は、5~7世紀に起こった出来事と関連したものだ。ティンタジェルの要塞が建設されたのも「同じ時期だ」と考古学者は考えている。ここでは、英国史のなかでも謎の多いこの「暗黒時代」に光を当てる貴重な発見について振り返ってみたい。
「暗黒時代」のぜいたくな交易
ティンタジェルを発掘した考古学者らは、5~7世紀に建てられた可能性の高い、100以上にのぼる建築物の遺物を発見した。当時、一帯はケルト系ブリトン人の王国ドゥムノニアの重要な拠点であったと考えられている。(参考記事:「ドルイドって何? 古代ケルト、謎の社会階級」)
ブリトン人の拠点だという証拠が初めて発見されたのは、1930年代のことだ。しかし、調査を主導していた考古学者C・A・ローリー・ラドフォードの自宅が第二次世界大戦中に空爆されたことで、科学的な成果は発表できなくなった。1990年代には、ラドフォードが行っていたティンタジェル遺跡の発掘が再開され、地中海世界各地から運ばれた見事な陶器やガラス製品が見つかっている。
それから20年以上経って、英国の史跡保護機関「イングリッシュ・ヘリテージ」の支援で、研究者はティンタジェルに舞い戻り、5年に及ぶ発掘プロジェクトに取り組んだ。発掘調査の目的は、確固とした資料や根拠もないまま「暗黒時代」と呼ばれたり、単に「サブ・ローマン時代」「ポスト・ローマン時代」と呼ばれたりしているこの時代、ティンタジェルで何があったのかを明らかにすることだった。