“アーサー王生誕の地”に要塞跡、英「暗黒時代」に光

伝説ゆかりのティンタジェル、出土品が物語るブリタニアの栄華の歴史

2021.01.11
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ティンタジェル城の遺跡。この地で生まれたという伝説のアーサー王との結びつきを強めることを望んだイングランドの王族によって、13世紀に建てられたものだ。(PHOTOGRAPH BY MATT CARDY, GETTY IMAGES)
ティンタジェル城の遺跡。この地で生まれたという伝説のアーサー王との結びつきを強めることを望んだイングランドの王族によって、13世紀に建てられたものだ。(PHOTOGRAPH BY MATT CARDY, GETTY IMAGES)

 英国南西部コーンウォール州のティンタジェルは、大西洋を臨む岩がちな岬だ。2016年の夏、ここで見つかったある遺構と出土品が注目を集めた。

 理由のひとつは、ティンタジェルがアーサー王が生まれたとされる場所だったからだ。だが同時に、伝説の偉大なブリタニアの王との関係はさておき、それらは考古学的にも「信じられないほど重要な発見」だった。

 発掘調査で出土したのは、巨大な石造りの要塞跡、遠くアジア(現在のトルコ)から輸入されたぜいたくな品々だ。これらはすべてローマ帝国の支配が崩壊した西暦400年以降の時代のものだった。

 歴史的文献において、アーサーという名の指導者に言及している最古の記述は、5~7世紀に起こった出来事と関連したものだ。ティンタジェルの要塞が建設されたのも「同じ時期だ」と考古学者は考えている。ここでは、英国史のなかでも謎の多いこの「暗黒時代」に光を当てる貴重な発見について振り返ってみたい。

「暗黒時代」のぜいたくな交易

 ティンタジェルを発掘した考古学者らは、5~7世紀に建てられた可能性の高い、100以上にのぼる建築物の遺物を発見した。当時、一帯はケルト系ブリトン人の王国ドゥムノニアの重要な拠点であったと考えられている。(参考記事:「ドルイドって何? 古代ケルト、謎の社会階級」

 ブリトン人の拠点だという証拠が初めて発見されたのは、1930年代のことだ。しかし、調査を主導していた考古学者C・A・ローリー・ラドフォードの自宅が第二次世界大戦中に空爆されたことで、科学的な成果は発表できなくなった。1990年代には、ラドフォードが行っていたティンタジェル遺跡の発掘が再開され、地中海世界各地から運ばれた見事な陶器やガラス製品が見つかっている。

 それから20年以上経って、英国の史跡保護機関「イングリッシュ・ヘリテージ」の支援で、研究者はティンタジェルに舞い戻り、5年に及ぶ発掘プロジェクトに取り組んだ。発掘調査の目的は、確固とした資料や根拠もないまま「暗黒時代」と呼ばれたり、単に「サブ・ローマン時代」「ポスト・ローマン時代」と呼ばれたりしているこの時代、ティンタジェルで何があったのかを明らかにすることだった。

参考ギャラリー:4万年で「イギリス人」の顔はこんなに変わっていた 写真7点(画像クリックでギャラリーへ)
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スタッフォードロードマン、1500年前。1985年に建設現場で発見された。男性は、ローマ人が去った後に押し寄せたサクソン人の第一波とともにブリテン島へ渡り、西暦500年頃にやりと刀と一緒に埋葬された。死亡時の年齢は45歳以上。当時としては長生きで、活動的な生活を送っていた。脊椎、肩、腰に関節炎の痕が見つかったほか、歯には巨大な腫れものができていた。おそらく、男性は膿瘍による激痛に苦しめられ、その感染症が脳に広がって命を落としたと思われる。(COURTESY ROYAL PAVILION & MUSEUMS, BRIGHTON & HOVE)

次ページ:ぜいたくな品々が数多く出土

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