鹿児島県知事に塩田氏 初当選 現職ら7人の混戦制す

 2020/07/13 09:00
当選を確実にし、花束を受け取る塩田康一氏=12日午後10時56分、鹿児島市荒田1丁目
当選を確実にし、花束を受け取る塩田康一氏=12日午後10時56分、鹿児島市荒田1丁目
 任期満了に伴う鹿児島県知事選挙は12日投票があり、即日開票の結果、無所属新人で前九州経済産業局長の塩田康一氏(54)が22万2676票を獲得し、2期目を目指した無所属現職の三反園訓氏(62)=自民、公明推薦=ら他の6候補を破り初当選を果たした。戦後最多の7人が立候補する混戦模様で、塩田氏と三反園氏、無所属元職の伊藤祐一郎氏(72)の事実上の三つどもえとなったが、若さと「県政刷新」の訴えで支持を広げ競り勝った。経産省出身の県知事は初めて。

 三反園県政継続の是非に加え、収束が見通せない新型コロナウイルス対策と経済復興策が主な争点となった。九州電力川内原発(薩摩川内市)の運転延長問題や西之表市馬毛島への米軍空母艦載機陸上離着陸訓練(FCLP)移転計画の対応をはじめ、新総合体育館整備や鹿児島港本港区エリア再開発などの県政課題も問われた。

 投票率は参院選と同日だった2016年の前回を6.93ポイント下回り、49.84%だった。

 3人のほか、いずれも無所属新人で、元民放アナウンサーの青木隆子氏(57)、医師の横山富美子氏(73)=共産推薦、元鹿児島大学特任助教の有川博幸氏(61)、元高校教諭の武田信弘氏(66)が立候補した。

 塩田氏は経産省で地方創生や中小企業対策に取り組んだ経歴と若さをアピール。組織や政党の推薦はないものの、県人会や商工会青年部の人脈を生かし、同窓会関係者や一部県議らも草の根活動を支えた。「前でもない、今でもない、新しい県政を」と打ち出し、幅広い支持を得た。

 初の民間出身である三反園氏は「県民とともに歩む県政」の継続を訴え、自公の推薦を受け、友好団体や自民県議を中心に組織戦を展開した。4年間の県政運営への批判が高まったことや、中盤に発生した新型コロナの集団感染、豪雨災害への対応に追われ、運動を制限されたのが響いた。

 伊藤氏は財政再建や口蹄疫(こうていえき)に対応した知事時代3期12年の実績を挙げ、「コロナ対策は経験と決断力が必要」と主張。党派を超え複数の県議が支援に回り、SNSを使った情報発信で若者や女性票の取り込みも狙ったものの及ばなかった。

 青木氏は「誰ひとり取り残さない鹿児島」づくりを強調。横山氏は原発廃炉と自衛隊基地建設への反対を力説した。有川氏は人脈とインターネットを駆使して挑んだ。武田氏は地熱開発の必要性を訴え続けたが、いずれも広がりを欠いた。

 投票は繰り上げ投票区を含む1102カ所であった。当日有権者数は132万8024人(男61万6027人、女71万1997人)。投票者総数は66万1877人だった。

●「草の根」が組織戦破る
〈解説〉過去最多の7人で争った鹿児島県知事選は、現職と官僚出身の元職、新人の事実上の三つどもえとなり、経済産業省出身の塩田康一氏(54)が競り勝った。4年前、初の民間出身知事として県民が押し上げた三反園訓氏(62)の再選はかなわなかった。経産省などでの実務経験があり、最も若い塩田氏の「伸びしろ」に期待を込めた結果と言える。

 政党や組織の後ろ盾がない塩田氏が支持を広げた背景には、前回選挙での有権者の成功体験があるだろう。当時新人の三反園氏が「脱原発」を掲げ、草の根活動で自公支援の現職を破った。県政トップを自分たちの意思で変えられると確信した選挙だった。同じ動きが今回、三反園氏本人に跳ね返ってきた。

 初の民間知事となってから「脱原発」の訴えはトーンダウンし、従来の支援者を遠ざけて自民党に歩み寄った。変節について十分な説明があったとは言えない。日頃の県政運営でも生煮えのまま施策や方針を発表し、後日事務方が補足するケースが続いた。新型コロナウイルス対策ではこうした傾向が顕著だった。質問に対する答えが曖昧で、理解し難い言動に疑問を持つ県民も少なくなかった。

 県政立て直しをと臨んだ元職の伊藤祐一郎氏(72)は「コロナ禍という非常時は経験が大事」と存在をアピール。財政再建や危機管理の実績に加え、選挙戦では親しみやすさを打ち出したものの「一度退いた人」とのイメージは覆せなかった。

 塩田氏の勝利は現職批判の受け皿となった「消去法的な選択」との見方もあるだろう。ただ、塩田氏が告示前後から繰り出した「今(現職)でもなく、前(元職)でもない」との言葉が有権者の心を捉えたのは確かだ。

 コロナ感染拡大で落ち込む地域経済をどう再生させるかが焦点となる中、塩田氏の「コロナ対策は中小企業対策。経産省出身の自分にしかできない」との主張は一定の期待を抱かせた。

 保守王国・鹿児島で自民が支援する候補が前回に続き敗れた。7人立候補で票が分散し、コロナで活動が制限されたとはいえ、各種団体や野党も含め、組織力を発揮しにくい難しい選挙となった。