府中刑務所(法務省ウェブサイトより)

今は亡き某指定組織の三次団体幹部の妻だった、待田芳子姐さんが語る極妻の暮らし、ヤクザの実態――。

68歳(!)のヒットマンが2人を射殺

 この原稿を書いている10月10日現在、台風19号の襲来が心配されています。どうか大きな被害が起こりませんように……などとしんみり書いておりましたら、台風襲来よりも先に大事件が起こってしまいました。

 報道などによりますと、10月10日の午後2時40分ごろ神戸市内で発砲事件があり、2人が負傷して救急搬送されましたが、搬送先で亡くなりました。現場にいたヒットマンがすぐに逮捕され、持っていた2丁の拳銃が押収されています。

 現場は神戸山口組の中核組織である山健組の組事務所前で、兵庫県警察本部から西に500メートルほどの住宅街です。この日は事務所で定例会が開かれており、その最中の出来事でした。

 以前から神戸山口組は六代目山口組と抗争状態にありましたから、兵庫県警が24時間体制で警備に当たっていて、最初に発砲音に気づいたのも警察官のようです。現場付近は一時騒然となり、マスコミのヘリコプターもたくさん飛んでいたそうです。

ひとまずカタギさんに迷惑がかからなくてよかったです。通りがかった女性はテレビ局のインタビューで「毎日、警察官が見張りをしているのに、とても怖い」と話していて、ホント何をやってるのかと思いましたね。

 それにしても射殺された山健組傘下の組員は30代と40代だそうですが、弘道会傘下のヒットマンは68歳だそうです。これも時代なのでしょう。この事件の背景には、8月の六代目山口組関係者に対する神戸山口組関係者の銃撃事件があるといわれています。報復ですね。

また、10月18日に六代目山口組の事実上のナンバー2とされる高山清司若頭が出所する見込みで、これも無関係とは言えないでしょう。

 言い方はアレですけど、これは「起こるべくして起こった事件」といえそうです。これからも、報復攻撃に対する報復攻撃が続くかもしれません。

 以前から、高山若頭の出所の前後に「情勢は大きく動く」との見方はありました。若頭は10月17日に刑期を満了し、18日に東京・府中刑務所を出所と(今のところは)伝えられています。9月には「もう府中を出て名古屋刑務所に移送された」とかのデマも出たようですが、最近は静かだったのに、この射殺事件でガラッと空気が変わりましたね。

山口組の分裂は若頭の服役中のことで、獄中で激怒したと伝えられてもいますから、これからどうなるのか、しばらくは目が離せません。

 もちろん「若頭の出所の瞬間」もすごいことになりそうです。2011年4月に六代目山口組・司忍組長が府中刑務所を出所した時は、ボルサリーノに長めのマフラーというファッションの意外性もあって、マスコミが大騒ぎでした。六代目御一行の移動を生中継するワイドショーもありましたから、警察はかなりピリピリしているようです。もしかすると、実話雑誌よりも一般のメディアのほうが張り切っているかもしれません。

逮捕から5年の「初公判」

 この10月は、高山若頭の出所とともに、北九州市を拠点にする五代目工藤會・野村悟総裁と田上文雄会長の初公判も注目されています。

 報道などによりますと、この公判では、元漁協組合長射殺事件(1998年)、福岡県警の元警部が銃撃された事件(12年)、福岡県内で看護師が刺傷事件(13年)、福岡県内で歯科医師が刺傷事件(14年)の4件がまとめて審理される予定で、元漁協組合長射殺事件は殺人罪、ほかの3件は組織犯罪処罰法違反だそうです。

 それにしても起訴案件が多いとはいえ、2014年9月の逮捕から初公判が開かれるまでに5年もたっていること、その間ずっと接見禁止処分を受けていて、今後も判決が確定するまで接禁が続く見込みであることには、批判の声も出ています。

 思えば、この時の逮捕報道もすごかったです。全国の警察から約300人の機動隊員が派遣されたそうで、多くの組員さんが見守る中で、混乱もなく静かに県警のワゴン車に乗り込んでいきました。

 10月10日発売の「週刊実話」(日本ジャーナル出版)で、宮崎学さんが「総裁が被っていた帽子を関係者に預けると、車は静かに発進し、関係者らは一斉に頭を深く下げて車を見送った。まるで往年のヤクザ映画である」と当時の様子を書いていました。

ほんと映画みたいですね。

 それにしても、なんで初公判までに時間がかかったのかというと、野村総裁らから殺人などを「指示された」とされる実行犯の若い衆の裁判を先に進めたからのようです。若い衆の裁判はすでに確定していて、「外堀」を埋められたというわけです。しかも、裁判官は若い衆の裁判と同じだそうですから、弁護団はかなりの苦戦を強いられるとみられています。こちらもチェックは欠かせません。