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時差で奏でる「ピアニスト」向井山朋子展。──毎日4時間限定の展覧会とは?

ピアニストであり、パフォーミングアートも手がける向井山朋子による一風変わった展覧会が、メゾンエルメス フォーラムで開催中だ。無重力にピアノが展示された会場で、毎日1時間ずつ時間をずらして、向井山がピアノを奏で始める。深夜であろうと早朝であろうと、オープンするのはその演奏の前後4時間のみ。時間と空間、さらに観る者を巻き込んだパフォーミングアートを、アートライターの住吉智恵が体感した。

アーティスト向井山朋子が住む「ピアノの森」の儀式。

Just before | 2019 | 14 台のピアノによるインスタレーション、ピアノパフォーマンス Installation of 14 pianos, Piano performance (c)Nacása & Partners Inc. / Courtesy of Fondation d'entreprise Hermès

オランダを拠点に国際的に活躍するピアニストであり、舞台芸術やインスタレーションを手がけるアーティストの向井山朋子。彼女はいま前人未到の試みに取り組んでいる。

展覧会「ピアニスト」の作品「Just before」は14台のピアノが展示されたインスタレーションである。そして会期の24日間、ギャラリーに向井山とそれらのピアノが“滞在”し、コンサートを行うパフォーマンスでもある。演奏は毎日50〜120分間行われ、始まる時刻は日ごとに1時間の“時差”でズレていく。あるときは人々が寝静まった真夜中や夜明けにピアノを弾くこともある。

旧暦ではあらゆる生命が再生する新年の節目である立春。向井山朋子の勇気ある冒険が始まった。

Just before | 2019 | 14 台のピアノによるインスタレーション、ピアノパフォーマンス Installation of 14 pianos, Piano performance (c)Kiyoaki Sasahara / Courtesy of Fondation d'entreprise Hermès

開幕前夜のオープニングレセプションでは、祝祭的な雰囲気のなか、30分間の演奏が行われた。イタリアの建築家レンゾ・ピアノの設計によるメゾンエルメスフォーラムの空間は、昼も夜も外光を透過する無数のガラスブロックで囲まれている。夜の銀座ならではの、色あざやかなネオンサインの光が乱反射して煌めく空間はまるで万華鏡のなかの世界だ。

黒いシルクタフタのドレスを纏った向井山が現われ、鍵盤に指を置いた瞬間から、華やいだパーティの時間は止まってしまう。強く弾ける音が紡ぎだすヴァイブレーションが、完全に空間を支配し、立ったままの招待客の動きをフリーズさせる。“本気”のパフォーマンスは、出航を祝うために集まった親しい人たちを凍りつかせるほどの厳かな気魄を轟かせていた。

ピアニストと鑑賞者が交錯する空間。

Just before | 2019 | 14 台のピアノによるインスタレーション、ピアノパフォーマンス Installation of 14 pianos, Piano performance (c)Nacása & Partners Inc. / Courtesy of Fondation d'entreprise Hermès

数日後、初めて一般公開のコンサートを訪れたのは、昼下がりの3時の回。いまにも雪が降りそうな薄曇りの空がガラスに映り込み、蒼白いフラットな光が空間を満たしていた。

そこには、立派なコンサートグランドから、調律の狂った古いアップライトまで、紹介や公募で集められた年代も状態もさまざまなピアノが、まるで「ピアノの森」のように展示されている。

サーカスの空中芸のように天井から荒々しく宙づりにされたピアノもある。ヘリにしがみついたトム・クルーズ並のアクションで弾くピアニストの姿を想像してしまう。このなかに3台だけ、調律を終えて演奏者を待ち受けるピアノがあるそうだ。

Just before | 2019 | 14 台のピアノによるインスタレーション、ピアノパフォーマンス Installation of 14 pianos, Piano performance (c)Kiyoaki Sasahara / Courtesy of Fondation d'entreprise Hermès

ギリギリで会場に到着すると、すでにほぼ満員の観客がブランケットを借りて床に座り込んでいた。いつもは広々としたヌケ感を生かす展示空間だけに、この密度で全員体育座りの“集会”はなかなか新鮮な光景だ。

時間になると向井山がすっと現れ、拍手が起こった。軽い会釈だけで何も言わずにいちばん奥のピアノの前に腰かけ、おもむろに1曲目が始まった。フロアに近い視点からは彼女の姿はほとんど見えない。思いのほか伸びのある響きだけが聴衆の感覚に届き、音楽が浸透しはじめるのがわかる。

続いて向井山は中央のピアノに移り、2曲目の演奏に取りかかる。コンサートホールではこれほど至近距離(それも足もと)に観客がいることはあり得ない。もっとも、近作『LA MODE』(2016年)で、ダンサーとオーディエンスがピアノを取り巻く舞台空間を自由に移動し、危うい距離感で交錯するパフォーマンスをつくりあげた彼女にとっては、こんなことは何でもないはずだ。

ずらされた時間の中で、インスタレーションの一部になる。

Just before | 2019 | 14 台のピアノによるインスタレーション、ピアノパフォーマンス Installation of 14 pianos, Piano performance (c)Kiyoaki Sasahara / Courtesy of Fondation d'entreprise Hermès

この数年来、向井山の関心は一貫している。音楽が演奏される空間とは? それを捉える演奏者と観客の知覚とは?

さらに自己や他者の身体性、文化圏、ジャンル、セクシュアリティといった、さまざまな境界を横断し、侵犯し、共存しようと試みる。新しいアイデアを実現するために、従来の形式やプロセスを覆すことを怖れず、目標に向かって精神と身体を集中させる強靭さを身につけてきたひとだ。

「私自身の領域に観客を引き込んでいきたいと考えています。演じる側だけでなく、観る側にも、能動的な自由意志と責任を持ってそこに来てほしい。客席にふんぞり返っていれば安全とは限らないし、アノニマスな存在ではいられないんです」と向井山は語る。

本展にやってきた観客は「ピアニスト」のインスタレーションの一部となることを受け入れ、「開かれて、無防備で、可能性に満ちた作品のパートナー」として彼女の挑戦を受けて立つことになる。だからこそ、立って聴こうが座って聴こうが自由だし、他者(演奏者や隣人)の領域に接近することも、曲の途中で場を離れることも、その人自身が表明するステイトメントとなる。和やかで予定調和的なレセプションの空気を震撼させたピアニストの演奏が、まさに彼女自身のステイトメントであったように。

力強く漕ぎだし、よどみなく流れる音のうねりに身体を泳がせながら、そんなことを思った。漆黒の寝台が鎮座する「ピアノの森」で、空間は刻々と様相を変え、1人の演奏者と無数の鑑賞者がピアノを介して対峙する。終電後の取り残された時間や、すべてが動き出す早朝には何が起こるのだろう。

「ピアノは寝ているときも身体や意識を離れない親密な同居人」という向井山の心身のバイオリズムと、それをパフォーマンスを通して受けとめる観客のあいだで起こりうる反応を、現場で楽しみ、見届けてほしい。

**「ピアニスト」向井山朋子展 (**Pianist by Tomoko Mukaiyama)
期間/〜2月28日(木)
場所/銀座メゾンエルメス フォーラム 中央区銀座5-4-1 8階
無休・入場無料
・開館時間は日程により異なるので公式ウェブサイトを参照。
http://www.maisonhermes.jp/ginza/
特別協力: 株式会社河合楽器製作所
後援: オランダ王国大使館

向井山朋子(Tomoko Mukaiyama)
ピアニスト/美術家。オランダ、アムステルダム在住。1991年ガウデアムス国際現代音楽演奏コンクール優勝。各国の楽団にソリストとして招聘されている。近年は舞台芸術やインスタレーション作品を発表。93年村松賞受賞。2016年『La Mode』をイタリア、台湾、東京で上演。18 年『雅歌』をオランダ、高知、神津島で上演。

住吉智恵(Chie Sumiyoshi)
アートプロデューサー、ライター。東京生まれ。『VOGUE』ほかさまざまな媒体でアートや舞台についてのコラムやインタビューを執筆の傍ら、アートオフィス「TRAUMARIS」を主宰。各所で領域を超えた多彩な展示やパフォーマンスを企画。3月23日(土)ロームシアター京都で開催されるフェスティバルKYOTOSTEAMにて「ダンス保育園!!」のプロデュースを務める。バイリンガルのカルチャーレビューサイト「RealTokyo」ディレクター。http://www.realtokyo.co.jp

Text: Chie Sumiyoshi