女流棋界の先駆者・蛸島彰子女流六段「将棋から学んだことは続けることの大切さ」引退記念パーティーに約300人

スポーツ報知
引退記念パーティーに出席した蛸島彰子女流六段

 今年2月に現役を引退した将棋の蛸島彰子女流六段(72)の「歩みを語り感謝する会」(発起人は報知新聞社・丸山伸一代表取締役社長ら)が27日、東京・目黒の「ホテル雅叙園東京」で開かれた。

 女流棋士第1号で初代女流名人。男性の世界だった将棋界に、女性が歩んでいく道を切り拓いたレジェンドの花道を祝い、功績を称えようと棋士・女流棋士ら約300人が出席した。

 マイクに向かった蛸島女流六段は万感の表情で述べた。

 「半世紀以上もこの世界にいることが出来たことを感謝しております。将棋人生で学んだことは続けることの大切さです。ひとつのことを続け、乗り越えることが出来てきたのは自分ながらよくやれたなと思います。いろんな思い出を心に刻み、引退はしましたけど、これからも将棋文化の発展に寄与出来ればと思います」

 発起人に名を連ねた中原誠十六世名人(70)は感謝の言葉を贈った。

 「奨励会(棋士養成機関)でも一緒でしたし、同時代を歩いてきた人。思い出深いものがあります。脳卒中になり、毎朝のリハビリをする時、蛸島さんの『続ければ人生』という言葉で、なんとかやってみようと思いました」

 同じく発起人の日本将棋連盟・佐藤康光会長(48)は、1975年に蛸島女流六段が専門誌「将棋世界」に寄せた自戦記を紹介。将棋界で女性として生きる孤独や、前年に初の女流棋戦「女流名人位戦(現在の女流名人戦)」が生まれた喜びをつづった文章を読み上げ「私が生まれる前からプロとして活躍され、ひとつひとつの地道な活動を積み重ねて、今日の女流棋界の活況がある。心から敬意を表します」と将棋界を代表して謝意を伝えた。

 蛸島女流六段は、女性が将棋を指すことが一般的ではなかった幼少期から盤上の世界に魅了され、1961年、15歳で棋士養成機関「奨励会」に入会。初段まで昇段し、66年に退会した。

 翌67年に女流二段として女流棋士制度の発足に尽力し、74年にスタートした女流名人位戦で第1期から3連覇するなど活躍した。獲得タイトルは女流名人4期、女流王将3期の通算7期。兼ね備えた美貌でも人気を博し、テレビ出演なども通して将棋の普及にも貢献した。

 日本将棋連盟で女流棋士会長を務めた後、2007年に連盟から分離独立して発足した日本女子プロ将棋協会(LPSA)に移籍した。

 昨年12月に昨期限りでの引退を表明したが、今年1月の女流名人戦予選では実力者の千葉涼子女流四段に相手に最新型の将棋を指して快勝。自らが持つ女流棋戦最年長勝利記録を71歳9か月に更新し、引退に花を添えた。勝率5割を守ることを課し、通算成績333勝328敗で現役を終えた。

 日本将棋連盟と日本女子プロ将棋協会は別団体だが、パーティーには連盟所属の棋士や女流棋士も多数出席。連盟・佐藤会長は「団体は異なりますが、目指すべき方向はひとつです。ますます将棋界発展のため、お力をお貸し下さい」と語っていた。

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