秋田豊が目指すビジョンは「指導者としてアントラーズに戻りたい」

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko  井坂英樹●写真 photo by Isaka Hideki

遺伝子 ~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(14) 
秋田 豊 後編

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「今日スタジアムへ向かうバスの中で、いろんなことを考えたんです。鹿島へ移籍して、試合に出たい、レギュラーになりたいと思っていたけれど、移籍1年目で、これほど自分がピッチに立って、試合に出ずっぱりになるとは、イメージしていなかった。

 アジアへ行ったり、外国人選手と戦ったり、しかも中3日ですぐに試合がやってきたりとか......。身体よりも本当に頭が疲れるんだなと痛感しました。でも、こういうなかでもタイトルを獲得してきたのが、鹿島。相当スゴイことなんだなぁ......と。でも、僕自身がいるときに鹿島がタイトルを獲れなかった......というふうにはなりたくない。(W杯によるリーグ戦)中断期間が終わってからしっかりと巻き返したい」

 5月20日、J1リーグ仙台との一戦が終わった直後、安西幸輝は2月中旬のACLからスタートした鹿島での3カ月間をそう振り返った。

 その3カ月間、鹿島は所属するフィールドプレーヤー27人中24人が試合に出場している。数多くの試合を消化するのは、強豪クラブの宿命とはいえ、今季の鹿島は事情が違った。次々と負傷離脱する選手が相次いだ。一時は10名近くが離脱し、スタメン、ベンチ以外のほとんどの選手がプレーできない状態という時期もあったほどだ。

 そんななかで、今季加入した安西をはじめとした若い選手が経験を積むことには繋がったものの、結果は芳しくはない。ひとつ消化試合が少ないものの、首位との勝ち点差は19ポイントと大きく離れての11位。ただ、ACLの準々決勝進出が決定してはいるが、リーグタイトルをここで諦めるという空気は鹿島にはない。新加入の安西とて、それは同じだった。

 *    *    *

 愛知県出身の秋田豊が、鹿島アントラーズでプロデビューしたのは1993年。すぐさまレギュラーとなり、11年間の在籍でリーグ戦334試合、ナビスコカップ戦45試合、天皇杯38試合に出場。5度のチャンピオンシップもすべてに出場している。そして、4度のリーグ、3度のナビスコカップ、2度の天皇杯で頂点に輝いた。

1998年フランス、2002年日韓と2度のワールドカップメンバーにも選出されて、日本屈指のセンターバックとなったが、その理由は「鹿島アントラーズ」というクラブにあったという。

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