音楽セラピーだけでなく演奏や聴き方のヒントも AI が示してくれているかもしれない話

 

科学作家の竹内薫さんが 、東京交響楽団 正指揮者の飯森範親さんとの対談について 書いていたコラムが面白かったので紹介したいと思います 。

 

 

対談の話題が AI になって、指揮者も AI で代用できるかどうかについて飯森さんが持論を展開 。

それによれば AI は指揮を機械学習して、ある程度真似ができるとしながらも、人間の心の葛藤や感情がないことで本当の意味での指揮にはならないとしています。

飯森さんが問題にしているのは 、相手の心を感じるかどうかという点です。

つまり、音楽を含めたコミュニケーションは、これがあるかないかで、大きく変わってくるということを示しているわけです。

AI は反応はしますが、それは共感ではない、ということです 。AI には(現在のところ)心がないので、共感できないのは仕方ありません。

しかし、竹内さんは 50年ほど前に開発されたプログラムの例を出して 、極めて稚拙なレベルであるにも関わらず 、単純な受け答えをしてくれるこのプログラムに対して本物の心理セラピストと話しているような錯覚に陥ったことを 思い出したと言います 。

このことから、 話し手にとっての共感のポイントが相手にあるのではなく、自分にある、と指摘しています 。

ということは、 AI には心は必要がないのではないかということ。

であるならば、 同様にセラピストやカウンセラーにも心が必要ないということになる?

これはとても興味深い考察です。

この話を考えるときに飯森さんが 触れた「チャイコフスキーの交響曲第6番を指揮すると一週間ぐらい精神的なダメージの抜けない 」というエピソードが参考になります。

カウンセリングでは、いわゆる“ミイラ取りがミイラになる”という危険性について、よく話題になることがあります。

「傾聴する」「共感する」は、人間として相手の話を聞く態度 でとても重要だと言われてきました。

しかし話し手の立場からすれば、相手が聞いているか共感しているかはあまり重要ではない、ということになるわけです 。

この視点は、音楽の発信の仕方だけではなく音楽の聴き方にも、かなり大きな変革をもたらすのではないでしょうか。

現時点では、音楽療法にチャイコフスキーの「悲愴」はNGだということだけ覚えておいて、引き続き考えていきたいと思います。