トーマ・クヌートが窓の外に目をやると、自動運転車が時速40マイルで走っていく車の列から黒いBMWのe10が離れて、オフィスの前で停車した。

今日、に来るといっていたアドバイザー、ウーリンウェンの自家用車だ。

助手席から長い脚を振り出したウーは、誰も座っていない運転席に腕を伸ばして大ぶりなトートバッグを引き寄せてから、勢いよく立ち上がる。太いヒールが歩道の石畳に叩きつけられる音まで聞こえてきそうだ。

(中略)

スカートの皺を伸ばしたウーが助手席のドアを閉めると、BMWは持ち主に快適な乗り心地を供給していたサスペンションを縮めて発進し、時速40マイルで流れる自動運転車の列に割り込んで坂を登っていった。

行き先はブッシュストリートとポークストリートの交差点近くにあるケーブルカー動力ビルだろう。復元した三階建てのパワーハウスの地下には、人間が運転しないからこそ実現した、二千台収容できる無料駐車場がある。

レベル5の自動運転が実現した車両同士の間隔はわずか2ミリメートルで、一般車両用フロアの天井高は4フィート(120センチメートル)しかない。

人間が立ち入れない理由はその狭さだけではない。

パワーハウスの地下駐車場には、容量200キロワットアワーの固体ナトリウムバッテリーを20分で満充電することのできる電磁波が満たされている。まさに電気自動車のために作られた空間だ。

上記は、『S-Fマガジン』(早川書房)の2018年4月号に掲載された、藤井太洋の連載小説「マン・カインド」からの抜粋だ。時は2045年、サンフランシスコを舞台にした物語である。

BMWの電気自動車(EV)i3で都内をドライヴしながら、助手席に座る藤井に、この物語の概要を訊いた。

藤井が「マン・カインド」の中で描いた未来のモータリゼーションの一部を、BMWは既に実現している。たとえばワイヤレス・チャージングは実用化されており、パワーサプライについても、実用化に向けて実証実験中だ。

「『マン・カインド』では、“レヴェル5の自律走行システムが導入されて10年ほど経っている社会”ということで、時代を2045年に設定しました。わたしは、いま現実に存在するテクノロジーやサーヴィス、そして製品から設定を積み上げていくことが多いのですが、この作品では現行のBMW i8の数世代先にあるラグジュアリーEV車ということで、e10と名付け登場させました。その設定が定まったことで、サンフランシスコのモータリゼーションだったり、エネルギー問題の解決策などを連想していったんです。

たとえば、オフィスにやってきた女性のアドヴァイザーは、建物の前でe10を降ります。e10は自動運転なので、その後、勝手に駐車場へ行く。その駐車場は、人が運転しないので車両間隔が極めて狭く、天井高も低い。さらには、Qi(チー)のようなワイヤレスシステムによって、駐車中に充電ができる。なおかつ、フル充電された車は、パワーサプライも兼ねることになります。家であったり都市内のデータセンターであったり。ケーブルカーの電力も、必要な時に必要なだけ、バッテリーならではの利点を生かしてマイクロセカンドで電源供給を開始できる。

つまり、6万台程度の駐車車両が、原発8基分くらいの最大瞬間電力をいつでも供給できるという社会になっているわけです。未来の都市の電力供給システムとして、あながち間違ってはいないと考えています」

──EV車、あるいは自律走行車が行き交う未来では、都市の風景や人の様相はどう変わっていくのでしょうか?

「まずはっきりしているのは、都市交通からどんどん騒音が減っていくということでしょうね。このi3も、とても走行音が静かですし。あとは車間コミュニケーション、いわゆるコネクティヴィティにも期待しています。クルマ同士が道路情報をやりとりできるようになると、先頭車両なり対向車線を走ってくるクルマが見つけた異常に、車列がまとめて反応し、同時にスピードを落とすことができる。そうなれば、渋滞の発生原因が半分程度になる可能性があります。

また、街中の制限速度が60㎞/h程度に上がる一方で、人がクルマに当たらなくなるでしょうから、自転車が安心して走れる街が戻ってくるかもしれません」

──では、EVや自律走行車を「物語を動かすトリガー」として用いるとしたら、どのようなアイデアがありますか?

「都市と郊外、そして地方でしょうね。地域によって、よかれ悪しかれ分断されていく状況に、個人的には憂いを感じていますが、その格差を表現するために、自動車というものを有効に使うことができると思います。自動運転が使えるスマートカーと、ずっとハンドルに手を置いていなければならないレシプロ車とか。そういう差で表現していくことできると思いますし、現実にそうなると思います」

「ハンドルはとても小ぶりですね。いずれ、なくす気満々なのでしょうね(笑)」(藤井)

──以前、『ビッグデータ・コネクト』という作品を書いている藤井さんですが、クルマは今後、ますますセンサーが増え、大量のデータを取得していくことになると思います。そうしたデータを元に、何かしら物語を考えるとしたら?

「現在クルマのセンサーが拾っているデータは、確か4000パラメーターくらいあって、これをそれぞれ32ビットのシグナルで、マイクロセカンド単位で取得しようとすると、映画2〜3本を常にストリーミングしているのと変わらない状態です。それが何万台と走っているわけですから、想像がつかない容量ですね(笑)。

きっと、役に立つデータを解析できると思いますが、その能力を、おそらくクルマ自身が自律的に持たないといけないのだろうな、という気がします。そういう意味では、短編作品がたくさん書けそうですね。『暑くなったから、とりあえず気温のデータを集めようよ』って1台クルマが呼びかけて、まわりのクルマが呼応する。集まってきたキャッシュを、近くのコンビニみたいなところにまとめてドンッとアップロードして、みたいな」

──その収集したデータは売れるわけですしね。ところで、EVの静かさやモーター音を、藤井さんならどう記述しますか?

「わたしの場合、その技術が当たり前になっている世界を書くことが多いので、わざわざ書かないかもしれません。むしろ、レシプロ車に乗った時の違和感というかたちで、逆方向から照らすようなことはするでしょうね。たとえば、動き出すまでのちょっとした遅れでイラつくとか…。普段はEVに乗っている主人公が、レシプロ車に乗らなければいけなくなって、『乗り方はわかってる、大丈夫!』とか言ってアクセルを踏むんだけど、トランスミッションによる遅延に『んんっ?』って反応になる…といった感じ。人はEVに慣れてくると、レシプロ車に対して違和感みたいなものを抱くことになるかもしれませんね。実際、i3に乗せてもらったわたし自身がそうですから…」

「工場からつくる」という決意におののく

EVの可能性、都市のモビリティの未来といった話題を膨らませつつ、都内をドライヴすること1時間。藤井に、改めてBMW i3の印象を尋ねた。

「静かさだったり、乗り心地だったり、『モーター駆動のクルマというのは、こういうものだろう』と思っていた予想は、すべて当たっていましたが、まったく遅れのないトルクの発生には驚きました。いままでのレシプロ車には必ずあった、トランスミッションによってパワーが伝わっていく際の遅れを、まったく感じませんでしたから。アクセルに力を加えた瞬間から加速が始まる感じ。ああいうダイレクトな操作感覚を一度でも体感したら、その後は、トランスミッションがあるクルマのゆるさというか、機械が組み上がっていく時の若干の遅れを、どうしても意識してしまうだろうなと思いました。

実際、電気自動車というと、環境に優しいといった文脈で語られることが多いですが、このi3は走りを諦めていないというか、むしろ攻めていると感じました。先程のトルクにしても、ハイブリッド車ではエンジン駆動時と違和感のない設定にしていますね。そんな中で、EVならではのフルトルクにセッティングしてあるように感じたのは、なるほどBMWのEVだなと思いましたね」

藤井の指摘はインテリアにも及ぶ。ちなみにi3は、極めて軽量かつ強度の高いカーボンファイバー樹脂を、パッセンジャーセルに用いている。

カーボンファイバー、ユーカリ、ケナフといった、クルマの素材としては一般的ではないマテリアルを用いているのは、サステイナビリティを配慮してのこと。実際、使用されたパーツうち最大95%が再利用されるという。そんなBMW i3(とプラグインハイブリッド車のBMW i8)を生産するライプツィヒの工場では、風力や水力などの再生可能な資源からつくられたエネルギーが活用されている。

「カーボンファイバーは、飛行機にも使われている強くて軽い素材ですが、量産車に使われるというのは、コスト面から見ても非常に珍しいと思います。それはつまり、レシプロ車をEV仕様にしたのではなく、電気自動車として、イチから開発されたことを意味しています。キャビネットに使われているユーカリの木も、専用のプレス機をイチから開発したはずです。

あと、意外だったのが車内の快適さです。外から見たときの想像より、中がずっと広い。まずは床が低いので、普通のファミリーカーより低重心ですよね。高さはそれほどありませんが、体を起こした状態で座れて、それでも天井にスペースがあるのでとても快適でした。あれは外からの見た目とは違っていて意外でした。

もうひとつ、外からはカーボンの太いフレームが見えていましたが、内側から見ると楔形にフレームが切れているので、視界が遮られない。見ようと思ったところに、ピラーやドアのパネルが入ってこないので、とても驚きました。丁寧にデザインされているという印象です。

いま、製造の専門性がどんどん高くなっていて、同じ工場で別のクルマをつくることは、なかなか難しくなっているじゃないですか。だから、新しいコンセプトの何かを始めようと思ったら、工場を建てるというところからスタートしなければならず、だからこそ、『新しいコンセプトの何か』を始めるのはとてもハードルが高い。でもBMWは、『工場をひとつつくらないとつくれないクルマ』をつくって、ちゃんと世に問うているわけですよね。そこは本当に尊敬します」

最後、BMWがi3を通じて世に問うたサステイナビリティという価値観を、藤井は独特の視点から言及する。

「モノを燃やすということは、文明の、いや人間という種のもつ原罪だとわたしは考えています。地質年代の中で、人類が火を使い始めてからを『人新世』と呼ぼう、という学者もいるほどですからね。元は冗談だったらしいのですが、5万年、いや5百万年後でも、プラスチックが出てくる地層を未来の古生物学者や地質学者は見ることになります。そんな爪痕を、人間は地球に刻んでしまった。

その中でも一番大きいのが、二酸化炭素の急速な増大です。いままで地層の中に封じ込められてきた生物の死骸を石油というかたちで、いま、人はどんどん燃やしているわけですが、そうした状況に対して、とりわけ自動車メーカーが力強く『文明の原罪』を償おうとしていることを実感しました。

i3のフォルムはとても個性的です。普通のレシプロ車と変わらないルックスの方が売りやすいはずなのに、あえてそうしている。これはメッセージなんです。工場の電力を風力発電で賄うことも、革のなめしにオリーブを使うことも、すべてが、文明の原罪を償おうというメッセージなんです。そのような社会に対する影響力や責任感、メッセージ性は文学の力がまだ及ばないところで、個人的にはやりたいと思っているところなんです。社会に対するコミットメントの高さ、とても勉強になりました」

BMW VISIONARY MOBILITY

「真横から見ると、BMWらしさを感じますよね。プレスラインがまっすぐ最後まで通っているこの処理の仕方で、『あ、BMWだな』ってひと目でわかります」(藤井)