【DeNA】ラミレス監督、帰化申請 年内に国籍ゲッツ「夢は侍監督」

スポーツ報知
年内に日本国籍を取得することになったDeNAのラミレス監督。夢は侍ジャパンの監督となり、世界一に輝くこと(写真は合成)

 DeNAのアレックス・ラミレス監督(43)が22日、今年中に日本国籍を取得することを明かした。すでに帰化への書類申請は済ませており、最終の面談を経た上で正式に日本人となる。ベネズエラ出身で来日18年目となる指揮官は「日本の野球に日本人として何らかの形で貢献できたら。お返しがしたい」と将来的な日本代表監督就任にも意欲を見せた。

 大好きな日本と日本人へ、ラミレス監督は何度も感謝を口にした。01年にヤクルトに入団してから18年。もはや日本人になるのは自然のなりゆきだった。「今シーズン、私は日本国籍を取得します。日本を愛しているし、日本の方々を愛しています。ここに来て非常に多くのものを学び、身になって今こういう立場になれた。ここまでこられたのは本当にいろいろな方々の支えがあった。その方々にお返しというか、貢献していきたい」と、感慨深い表情で説明した。

 ラミレスはヤクルトに入団した来日1年目から活躍し、3年目には本塁打王、打点王を獲得。安定した成績を残し続け、13年には外国人選手初の2000安打を達成するなど、計3球団、通算13年日本でプレー。日本のファンが喜ぶならと、本塁打を打った際には「アイーン」「ゲッツ」などのパフォーマンスで観衆の心をつかんだ。

 本格的に帰化を考えたのはDeNA監督に就任した16年。15年に美保夫人と再婚し、剣侍(けんじ)君(2歳)も生まれていた。「私の妻も日本人ですし、もちろん息子も日本人。どこか他の国で住むという考えもない。日本が私の住む場所」と永住を決意。1年半前に帰化申請を開始し、最終の面談を待つのみとなり発表に至った。16歳で離れた母国の両親には「ベネズエラより日本にいる期間が長いしね」と歓迎されたという。

 過去、球界では郭源治(中日)などが帰化した例はあるが、引退後となると異例だ。現在のところ、名前を漢字に変更する予定はない。すでに将来的に高校野球の指導者にも興味を示していたが「何年先になるかわからないですけど、日本人として日本代表のユニホームを着る、代表の監督をやる、というのが最高の夢」と、侍ジャパンも目指す。外国人でも指揮官就任へ支障はないが「日本人だからこそふさわしいと思ってもらえることもある」と日の丸を意識。これからは日本人・ラミレスとして、思う存分球界に恩返ししていく。(岸 慎也)

 ◆日本に帰化した主な著名人

 ▽小泉八雲(イギリス)ギリシャ生まれ。日本の文化に魅了され、1890年に来日。「怪談」など日本の民俗に関わる多くの著作を残した。1896年に帰化。

 ▽C・W・ニコル(イギリス)1962年に来日。その後、作家や環境保護活動家として活躍。95年に日本国籍を取得した。

 ▽ツルネン・マルテイ(フィンランド)1967年に宣教師として来日。79年に日本に帰化。01年参院全国比例区に立候補も次点、大橋巨泉氏の議員辞職で繰り上げ当選した。

 ▽クリス・ハート(米国)サンフランシスコで生まれ、2013年にシングル「home」で歌手デビュー。同年、松田聖子とのデュエット曲でNHK紅白歌合戦初出場(紅組)。17年に日本国籍取得。

 ◆アレックス・ラミレス(ALEX RAMIREZ)1974年10月3日、ベネズエラ生まれ。43歳。98年インディアンスでメジャーデビュー。01年からヤクルト、08年から巨人、12年からDeNAでプレー。MVP2度、首位打者1度、本塁打王2度、打点王4度、最多安打3度獲得。14年にBC群馬に入団、同年10月に現役引退し同球団のシニアディレクターに就任。15年にはオリックスで巡回アドバイザーを務めた。NPB通算成績は1744試合で打率3割1厘、380本塁打。180センチ、105キロ。右投右打。年俸9000万円。

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