「栄村大震災」 物置きで暮らす村民 「今必要なのは住む場所を作るためのお金」

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 太平洋三陸沖を震源とするM9.0の地震が起きた翌日の2011年3月12日早朝、長野県の最北端に位置する栄村(さかえむら)は震度6強の地震に見舞われていた。気象庁はこの地震を特別に命名はしなかったが、特に被害の集中した栄村の公式サイトでは「栄村大震災」と呼称。村役場入口にも「3・12栄村震災対策本部」という看板があるなど、現地は今でも対策に追われている。

 地震発生から約1か月が経過した4月18日、特に被害の大きかった青倉地区に住む島田さん宅を訪ねると、そこには補強した物置きに暮らす村民の「現実」があった。村に3億6千万円以上集まった義援金は、未だ1世帯あたり5万円しか分配されておらず、世帯主の島田恒治さんは「今必要なのは住む場所を作るためのお金」と訴えている。

 「栄村大震災」は震度6強の揺れであったにもかかわらず、死者はなく、捻挫や切り傷などで16人が負傷したにとどまった。しかし、最も多いときには村民の約7割にあたる約1700人が避難所で生活し、4月21日現在も63人が避難所で暮らす。村によると、家屋は33世帯が全壊、152世帯が半壊の被害を受けた。県が建設を決めた仮設住宅は40戸で、入居開始は6月になる予定だが、東日本大震災に襲われた東北地方でも仮設住宅が不足していることから、村の担当者は「追加で建設をするとしても、いつになるか見通しは立っていない」と言う。

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 4月18日、特に被害の大きかった青倉地区の島田さん宅を訪ねた。地震後、島田さんの家は立ち入ることが「危険」と判定されたため、村役場で約2週間の避難所生活を送った。食料や毛布など多くの支援物資があり、妻の高子さんは「東北と比べれば『幸せな被災地』だと思った」と言う。ただ、避難所では他人のいびきや咳に悩まされ、また人間関係の煩わしさもあった。

 そこで、震災の影響が小さかった物置きの補強を知り合いの大工に依頼し、外側を木材で補強、内側にはベニヤ板を打ち付けてもらった。現在は、床に畳を敷き詰めて暮らしている。ただ、物置きの耐震性は安心に足るものではなく、ストーブをたいても吐く息が白いという環境だ。恒治さんは「新しい家を建てるためには数千万円必要になる。だからしょうがなく、物置きを修復して住んでいる。危険だけどお金がないもの」と漏らす。

 村によると、全国からの義援金は3億6千万円以上集まっているが、既に被災者の手元に届いたのは1世帯あたり5万円の見舞金、計約3500万円分のみだ。村は今後、残りの義援金は全て被災者に分配していく予定であるとしている。ただ、恒治さんは「みんな、いつ壊れるかわからない建物で心配しながら生活している」という現実を語り、「今はひと部屋でもいいから、安心して住める場所を作るお金がほしい」と考えている。

◇関連サイト
・長野県 栄村ホームページ – 公式サイト
http://www.vill.sakae.nagano.jp/

丸山紀一朗/松本圭司)

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