ぼくの作品は「建築的な構造をもつアート」。
――建築一家に育ったそうですね。
そう、ブエノスアイレスに住むぼくの家族は、父をはじめ、建築関係の仕事に就いている人が多かったんです。建築というものはだいたい機能性を追求していますが、ぼくはそこのところにはまったく興味をもてなくて、建築学科には進みませんでした。
建築はリアルで、アートはフィクション、と捉えられがちだけど、この世界に存在するものは、自然以外ほとんどが人間の想像力でつくりだした構造物ですよね。そういう意味では、ぼくの作品は「建築的な構造をもつアート」といえるでしょう。
――「窓学展」でも、空中に浮かぶ堅牢な窓枠に梯子が架けられた、謎めいた作品が展示されました。
ぼくの作品には「窓」がよく使われます。「窓」はメタフォリック(隠喩的)な性質をもつ、建築の詩的なエレメンツで、さまざまなストーリーを造形的に表現することに適しています。
たとえば、古代ローマ時代の神殿パンテオンには巨大なドームがありますが、その頂点には天窓が開いています。日によって青空だったり曇り空だったり、人間がどうすることもできない宇宙との出合いが、天空に向かって開く「窓」を介して行われてきました。壮大な人工の建造物でありながら、とてもポエティックで象徴的な建築構造といえます。
ぼくの作品の「窓」には機能はありません。そこにはいつもフィクションが介在し、物語の解釈は観客に委ねられています。「窓」から空気や光が通り抜けたり、内と外とでコミュニケーションが交わされたり。人間の身体でいうと「目」、見ることを象徴する要素なんです。
現実に対して、常に「リアリティとは何か?」という疑いをもち続ける。
――ほかにも「鏡」や「反射」を多用するという印象を受けます。
鏡面の反射という現象も、ぼくの作品のなかでは状況に応じて異なるアイデアをもたらしてくれます。今回の個展では《反射する港》(2014)という作品を展示します。これは写真で見ただけではわからないくらい精巧につくられた、停泊するボートの船影という現実を反射する構造をもっています。
日本の九州にも、人工の波や浜辺があるプールがあるのをネットで見たことがあります。まさに行って体験しないとわからない、偽装されたリアリティといえますよね。
――常日頃から物事の虚実に対して疑いをもつような習慣をもっているんですか?
ぼくらがいま現実として受け入れているものにはさまざまな側面があります。現実に対して、常に「リアリティとは何か?」という疑いをもち続けています。ぼくにとってそれはシンプルだけど強い、オブセッショナルな挑戦といえるかもしれません。
そこからまずどんなフィクションがつくりだせるかを考えます。「窓」や「鏡」といったモチーフを繰り返し使うことで、それがいつかアーティスティックな語彙になっていくのです。
――そのコンセプトをいちいち理屈で説明しないところが、あなたの作品が愛される理由の1つかもしれませんね。
マルセル・デュシャンやルネ・マグリットもそういう作家です。特にデュシャンは、観る人の世界の見方を変えてしまうほどの強いコンセプトをもちながら、何も語らないことに成功した人だと思うんです。
彼らが活躍した20世紀。その前半は身体性の拡張と補完の時代、後半は情報の時代でした。21世紀は「意識」の拡張と展開の時代と考えています。
普段親しんでいる事物から、無意識のさまざまな位相を引き出すことで、現実世界を翻訳していきたいと思っています。現実は1つとはかぎらない、ということこそが現実なのではないでしょうか。
プロフィール
1973年アルゼンチン生まれ。第49回ベネチアビエンナーレ(2001)ほか国際展に多数参加。主な個展にMoMA PS1(2008)、エスパシオ・フンダシオン・テレフォニカ(2017)、金沢21世紀美術館(2014)など。大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ(2006、2012)、瀬戸内国際芸術祭(2010)参加。今秋には、スパイラルガーデンでのYKK AP窓学10周年記念「窓学展—窓から見える世界—」に参加。11月18日より森美術館にて「レアンドロ・エルリッヒ展:見ることのリアル」を開催(2018年4月1日まで)。
Interview & Text: Chie Sumiyoshi Editor: Maki Hashida