「今すぐ窓から飛び降りろ」教師 vs 映画「es」 | katoo the world

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埼玉県所沢市の小学校で、男性教師が小学4年の男子児童に、「今すぐ窓から飛び降りろ」などと3階の教室から飛び降りるよう何度も迫っていた事が分かった。


40代の男性教師は鉛筆削りの貸し借りを巡って言い争っていた小学4年の男子児童に、「今すぐ窓から飛び降りろ」、「命が惜しいのか。早く飛び降りろ」などと3階の教室から飛び降りる様に、何度も迫ったという。


また、男性教師は更に「このクラスは34人だったが、明日からは33人でやっていこう」などと話したほか、以前、この男子児童の背中を蹴るなどの暴行をしていたという。


学校側は、「飛び降りろ」といった発言や暴行の事実を認め、謝罪した。

今週、保護者会を開く方針と言う。


教師が壊れて行く。


この様な発言が出てしまうとは、民間では如何なるブラック企業であろうとも有り得ない事だ。

それ程迄に教師とは過酷な仕事なのだろうか?


今回の事件を聞き、私はある映画を思い起こしていた。

2002年に公開されたドイツ映画「es」である。


大学の地下に作られた擬似刑務所に集められた20人の男を「看守」と「囚人」に分け、それぞれ与えられた役になり切り2週間生活するという実験が執り行われた。

当初は両サイド共に何の問題も無く和やかな雰囲気で過ごすが、次第に暴走する看守側と囚人側の対立は、実施者の実験中止をも振り切り、最終的に2名の死者を含む多数の死傷者を出す惨劇へと変貌していく。


この映画は実際に1971年アメリカのスタンフォード大学で行われた「スタンフォード監獄実験」を元にしており、「権力への服従」と「非個人化」を証明する事となった実験結果を基にしたモノだ。


参考文献

権力への服従:強い権力を与えられた人間と力を持たない人間が、狭い空間で常に一緒にいると、次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまう。


非個人化:元々の性格とは関係なく、役割を与えられただけでそのような状態に陥ってしまう。


今回、教師の起こした事件と、上記の「スタンフォード監獄実験」の類似性は如何なモノだろうか?


社会から隔離された「教室」と言う環境は、上記実験における「擬似刑務所」であり、「教師=看守」、「生徒=囚人」である。


悪名高き「スタンフォード監獄実験」と同様の「授業」と言う名の実験が、今まさに世界中で執り行われているのだ。


「スタンフォード監獄実験」では、その経過の余りの危険性から、実施6日目で実験は強制中断されているのだが、教室と言う隔離された環境下に於いて、強制中断を実施出来る者はおらず、教師の独裁化・権力化に歯止めは効かない。


如何に強い精神を持つ者であれ、権力への服従と非個人化を制御する事は困難を極める。


そんな中で、世の教師たちは実に良くやっているのでは無かろうか?


現場で事件が揉み消されている可能性も高いし、ハインリッヒの法則によると「重大事故の陰に29倍の軽度事故と、300倍のニアミスが存在する」との事なので、今後、連鎖的に教師による事件が発生する可能性もある。

正に今が、ブレイクポイントと言えるのでは無かろうか?


今回の40代男性教師の行動は犯罪に等しい。

しかし、子供を愛し、教育に情熱を燃やした教師が、この様な状況に至るまで20年も放置していた事こそが罪だと、私は考える。


教師が必死に耐え忍ぶ現状が改善されない限り、映画「es」で描かれた様な、教師による惨劇が起こる事は明白である。


コレを一教師の責任にするのは余りに酷である。


かとぅ