【宮城県東松島市 矢本リサイクルセンター】2011年3月22日、市の管轄する空き地で津波被災者の遺体の仮埋葬が行なわれた。膨大な数に火葬が間に合わず、一時的に土葬されたのだ。2017年2月7日、仮埋葬された遺体は1年以内に火葬され、敷地は更地に戻された。職員の話だと、あれからこの場所を何かに利用したことはなく、今も空き地が広がっている。

昨年、ひとりの写真家が東日本大震災の被災地を訪れて“奇妙な写真”を撮影した。その写真は「週プレNEWS」でも配信したが、反響を呼び、SNSでも話題となった。

その写真家、八尋 伸(やひろ・しん)が、震災から6年が経つ被災地を再び訪れ、また1年が過ぎ、新たな写真で伝えるものとは――。

これらのふしぎな写真は「二重露光」という方法で撮られた。フィルムで撮影したコマを送らずにそのまま上から重ね撮りすることで、ふたつの画像がひとコマに収まるのだ。

その応用で2011年3月11日直後の被災地と、約6年後の同じ場所を写した「今」が1枚の写真の中で重なっている。

あの時の写真は「資料」としてずっと残る。ならば、人の「記憶」はどうなのか。

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東日本大震災から6年が経った。この時期、一時的にその話題が増えることを除けば、我々が被災地の現状に触れる機会も目に見えて減ってきた。

それは被災者も同じなのではないか、と八尋氏は言う。2011年から6年間、被災地の同じ場所を同じ時期に撮り続けてきた彼は、訪れるたびに少しずつではあるが、町が復興という未来に向かっていることを感じている。あったはずの道がなく、あったはずの建物が消えて更地になっている。

“あの日”が近づくたびにそんなことを繰り返し、気がつけば6年の月日が流れた。

そして、確信する。あの記憶は当事者たちの中からも静かに薄れてきている。自分の住んでいた家がどこにあったか思い出せないと言った人。町を離れて新たな生活を始めた人。復興支援の恩恵を受けられた人も、資金難などの理由でいまだに仮設住宅に住んでいる人も、多くは皆、「前」を向いている。

なぜなら、そうしなければ生きていかれないからだ。忘れても、忘れていなくても、それぞれの前にそれぞれが必死に紡いでいかなければならない「日常」があるからだ。

宮城県牡鹿郡女川町2011年3月16日初めて被災地に足を踏み入れたのが女川だった。町は津波による瓦礫で埋め尽くされ、まだ遺体が見つかることも多かった。雪が降り、辺りには潮のにおいが充満していた。2017年2月7日今は工事フェンスに囲まれた更地になっていて、そこから見える高台には住宅も建ち始めていた。

宮城県牡鹿郡女川町 女川町総合体育館2011年3月16日体育館は避難所となっており、廊下にも人が溢れ返っていた。避難していた佐々木美枝子さん(当時75歳、写真中央)は、「こうなったらしょうがない、我慢するしかないよ」と達観していた。2017年2月10日通常の営業に戻った体育館は平穏そのもの。敷地の前には復興住宅が建てられていた。

岩手県上閉伊郡大槌町2011年3月19日自衛隊員が到着した場所にはブルーシートにくるまれた遺体が7、8体並べられていた。隊員たちは一度手を合わせると、遺体を一体ずつヘリに運び、搬送していった。2017年2月8日その地区は、今は建築資材置き場となっていた。残っていた民家も取り壊され、側面の山には道路も開通していた。

被災地の人々の声

岩手県上閉伊郡大槌町2011年3月19日津波によって分断されていた地区に向かう自衛隊員たち。その日の午前中にようやく道が開通したばかりだった。2017年2月8日地区は建設資材置場になっていたが、これからも変わる様子はなさそうだった。

岩手県上閉伊郡大槌町浪板海岸2011年3月21日大槌町の消防団員たちが、行方のわからなくなった同じ消防団員の仲間を探していた。2017年2月8日海岸は再び整備され、新しい松の木も植林されていた。工事の騒音の中、波の音が穏やかに響いていた。

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今回、八尋氏は撮影の合間に現地の人々の話も聞いた。「復興は進んでいる」という前向きな言葉も多々あった一方、「本当の日常」が戻ってくるまでには、きっとまだ時間がかかるというのが実感だろう。それなのに、否が応でも記憶だけは風化していく。

●「復興は進んでいると思う。震災の前のように街を戻すことは難しいと思うが、前を向いていくしかない」(女川町・海産物小売業を営む女性)

●「あそこの山ね。削って整地してるね。宅地になるんかね。この道も仮の道だから、また新しい別の道になっちゃうよ」(女川町・漁師の男性)

●「あんなに盛り土してもまだ低いね。また津波が来たらどうするんだろう。地盤が低くなったからしょうがないんだけど。でも、家も少しずつ建ってきたね。私はお金が無いから建てられないけど」(大槌町・コンビニのパートの女性)

●「町の姿が変わってしまうのは寂しいけど、しょうがないのかなとも思う。戻ってきたいけど戻る前に亡くなってしまったお年寄りもたくさんいて、そういうことも知っているから贅沢は言えない。町を離れて避難先で家を買った人たちもたまに帰っては来るんだけど、そのたびに自分の家だった場所がわからなくなっていると聞く」(大槌町・美容師の女性)

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被災地の人々の中の「記憶の変遷」を表現したいと、八尋氏は今回の写真を撮ることに思い至った。ふたつの時間を重ねた画の先に何が見えるだろう。

(撮影・取材/八尋 伸 構成・文/週刊プレイボーイ編集部)

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●八尋 伸(やひろ・しん)1979年生まれ、香川県出身。2010年頃からタイ騒乱、エジプト革命、ミャンマー民族紛争、シリア内戦、東日本大震災、福島第一原発事故などアジア、中東の社会問題、紛争、災害などを撮影、発表。シリア内戦のシリーズで2012年上野彦馬賞、2013年フランスのThe 7th annual Prix de la photographie, Photographer of the year受賞。ミャンマー民族紛争のシリーズでThe 7th Annual Photography Masters Cup、Photojournalism部門でノミネート、コニカミノルタフォトプレミオで入賞し写真展を開催。東日本大震災の被災地には2011年から定期的に訪れ、同じ場所を写す活動を続けている