松山英樹(24=LEXUS)が、名実ともに日本一のゴルファーになった。単独首位から5バーディー、4ボギーの69で回り、通算5アンダーの275で逃げ切った。今季初参戦となった日本ツアーで2季ぶりの通算7勝目。初の国内メジャー制覇となったが「通過点」と満足することなく、目標のメジャー制覇に向けて今週20日から米ツアーの新シーズンに臨む。

 松山の喜びは、どこまでも控えめだった。派手なガッツポーズはなし。大声援に帽子を取って応えた。答えは優勝会見にあった。「日本のメジャーといわれるけど、僕はここを目標にしてないですし、ここは通過点。最後のパッティングを決められないようじゃ、向こうのメジャーは勝てない。向こうで勝てるようにもっと練習したい」。優勝が確実になった後の18番グリーンで1・5メートルのパーパットを外した自分を責めた。

 海外の難コースでもまれている強みを存分に発揮した。昨季米ツアーで、グリーンエッジから30ヤード以内のショットのうまさを示す数値は95位。課題の小技は「セカンド地点のラフは厳しいと言っていたけど、グリーン周りは楽に感じたのもある。海外の経験が生きた」と、むしろ武器になった。傾斜に切られた難しいピン位置にも3パットをしない。ハイライトは16番。10メートルのバーディーパットが沈む前にパターを突き上げ、右の拳を握っていた。

 会場の狭山GCでプレーするのは12年日本学生選手権を制して以来。東北福祉大時代は、朝の集合時間を間違えて阿部監督を待たせた上、同監督が運転する車で寝ていた逸話もある。そんな大物ぶりを改めて示すラウンドだった。1番ティーでアドレスに入ろうとして静まり返った瞬間、子どもから声援が飛ぶと笑みを浮かべて仕切り直した。9番パー5では「イーグル取って!」という無邪気な声援に「そんなに簡単に取れたら…」と苦笑しながら3番アイアンで2オン。「プロというのは子どもに夢を与えられるプレーができるかどうか」。全てをプロ意識で包み込んでみせた。

 優勝者のセレモニーなどを終えた後、サインを待つ約500人のファンに対応した。休む間もなく米ツアーの新シーズンが始まり、11月には石川と組んで出場する国・地域別対抗戦のW杯も控える。「昨日(ショットが)少し良くなった分、希望は見えている。それを頼りにやっていきたい」。世界を相手に、日本へ夢を届ける戦いが待っている。【亀山泰宏】

 ◆大会史上2番目の大ギャラリー 今大会4日間のギャラリー数は4万5257人で、資料の残る91年大会以降では09年大会(埼玉・武蔵CC豊岡C、優勝者小田龍一)の4万7394人に次ぐ2番目の多さ。ツアー全体(資料の残る94年以降)の最多ギャラリーは97年フィリップモリス選手権(現マイナビABC選手権)の5万6508人。