世間に強烈なインパクトを与え続ける気鋭の小説家・樋口毅宏の最新作は、プロレスをテーマにした連作集だ。だが、その裏には某直木賞作家への凄まじいアンチテーゼが隠されていた……樋口氏自身による赤裸々な執筆秘話をお届け!
直木賞作家へのアンチテーゼ
プロレス小説『太陽がいっぱい』は、直木賞作家・西加奈子へのアンチだった。
2015年、西さんが順当通り、直木賞を受賞したとき、その会見で彼女がこう発言したと聞いた。
「プロレスに感謝」
なぜだろう。その会見の映像を観ていないし、発言の全文を確認したわけでもない。
しかし、カチンと来てしまった。
プロレスは「感謝」だけじゃないだろ。怒り、嘆き、憐憫、しょーもなさ、惨め、失笑、救済……様々な感情を抱合したものがプロレスではないのか。
小学2年生から見始めて、K-1やPRIDEの格闘技ブームにより、一時期離れていた負い目を持ちつつ、近年また観るようになった僕は思う。
そして西加奈子への当て付けというか、衝動だけで書き始めて、気が付いたら350枚の原稿を脱稿していた。
わかっている。正直嫉妬もあるのだろう。
「嫉妬だって? おまえと西加奈子を比べるなんて、月とすっぽんどころじゃないぞ」
そう笑う人が大半だろう。売り上げ部数も、文学賞の受賞歴も、ましてや作品の質が違う。読者が被ることもない。
文藝から愛される若き女帝と、ドグサレエロ本あがりの三流物書き。プロレスラーで例えたら、あちらは新日本プロレスラーのメインイベンターというエリート。こちらはインディー団体のポンコツだ。
外道だったらこう言うね。
「レェェェベルが違うんだよ!!」
だからわかってるって。それでも噛み付かずにはいられなかったのだ。
プ女子のバイブル『ふくわらい』
近年のプロレス会場は若い女性、所謂プ女子が増えた。僕のまわりでも女性の書店員やOLがずっぽりとハマった。
中でも知り合いの女性編集者は文芸を担当していたが、それまでまったく興味がなかったはずのプロレスにヤラれて、『NEW WORLD』という新日本プロレス公式マガジンを創刊したほどだ。
彼女たちに共通することがある。西加奈子の小説『ふくわらい』がきっかけで、プロレスに興味を持つようになった。もちろん僕も読んでいる。
変人の父親によって人格を歪められた女性編集者が、現役プロレスラーの作家と出会い、自我を解放させていく。もの凄くざっくり言うとそんな感じ。この作品にケチを付けるつもりは毛頭ないし、何度も言うけど僕ごときが言える相手ではないって。
西さんが心から素直な気持ちで「プロレスに感謝」と言ったのもわかる。『ふくわらい』という傑作が書けるからこそ「プロレスに感謝」と口にする資格を有している。
それでも僕はプロレスに「感謝」以外のものを込めたかった。
哀愁、やるせなさ、野心、痛み、無常感……。
かつて日本テレビアナウンサーの若林健二はプロレスの実況中継でこんな名言を吐いた。
「プロレスが人生に似ているんじゃない。人生がプロレスに似ているんだ!」
僕はこれ以上プロレスを信じている言葉を知らない。
猪木に始まり猪木で終わる
『太陽がいっぱい』という8本の連作に、僕は様々な人間模様を彩った。僕に、そして今このテキストを読んでいるあなたに似た人たちを記した。
著者自ら解説すると、「人生リングアウト」は朝日新聞出版の文芸誌『小説トリッパー』が創刊20周年を迎えて、メモリアル号として20人の作家が原稿用紙20枚、20に纏わる物語を書くという企画で書いたもの。朝井リョウ、伊坂幸太郎、江國香織、桐野夏生、白石一文など、自分以外は豪華な面々。
今回の『太陽がいっぱい』の中でいちばん古い原稿で、西さんのことがある前から、自分の中でふつふつとプロレス熱が甦っていたのだと思う。
「ある悪役レスラーの肖像」のモデルは、国際プロレス崩壊後、アントニオ猪木により悪役に仕立てられたラッシャー木村。実生活では朴訥な真人間なのに、当時は日本中から怨まれ、昼間から自宅に物を投げ込まれ、飼っていた犬がノイローゼになってしまった。
僕の世代のプロレスファンからしたら知ってて当然。しかし大槻ケンヂさんと対談させてもらったときにも言ったけど、「3年経ったら10代は知らない。ましてや30年経ったら誰も覚えていない」。だからこの人の哀愁は書き留めておかなければいけないと長年思っていた。今回形にできてホッとしている。
「最強談義」。これは箸休め的な。プロレスってプロレスファンも面白いから。強さと暴力への憧れを捻くれた感じで語らせてみた。
リングを使うジャンルなら他にボクシングやシューティングとかあって、バトルなら相撲や柔道、エンタメならアイドルやロックなど様々あるけど、観客論はプロレスがいちばん間口が広くて敷居が低く、バカっぽい。なんであんなに童貞臭いのか。運動音痴っぽいのか。プロレスラーだけでなく、こういう人たちも書いておこうと思った。
「最強のいちばん長い日」。これも読んでもらったら誰がモデルか一目瞭然。自分の中でプロレスの歴史を書き換え直したいという思いをノーパソに叩きつけた。このパートだけはこれ以上語らない。
「平凡」。タイトルは角田光代さんの短編集から。これまで、それこそミュージシャンで言ったら井上陽水のベスト盤のタイトルが『平凡』だったり、作家に関わらず多くの作り手が「平凡」をテーマに作品を手がけていて、角田さんの『平凡』には到底敵わないと知りつつ、自分も一度やってみたいと思っていた。
「平凡」という曲を歌った、あるミュージシャンの歌詞をちょいちょいぶち込んでいるけど、誰もわからないだろうな。
そして表題作「太陽がいっぱい」。
90年代前半に存在したメガネスーパー主催のバブル団体、SWSの興行最後の日に行われたバトルロイヤルを軸に、世界中のプロレスラーの人間交差点を描いてみた。
大正~昭和の女性運動家・平塚らいてうの名言「元始、女性は太陽だった」を自分でも想起した。僕はプロレスラーも太陽だと思っている。いや、太陽であってほしいと。そんな願いを込めたタイトルです。
序章と終章はアントニオ猪木で。これで一見バラバラの物語が串で通された印象になる。現代人の戦後の歴史観点が司馬遼太郎、言わば司馬史観であるように、昭和からプロレスを観ている、あるいは観ていたすれっからしのファンのプロレスの価値観や思想は猪木史観だから。
猪木にプロレスとはどういうものかを教えて込まれてきた。やっぱりあの偉大な男を最初から最後まで登場させないとね。
ふぅー以上です。
祈りを込めた拍手が欲しい
話を戻す。わかっている。「『ふくわらい』のほうが百倍面白かったよ」と言う人もいるだろう。
それでも信じたい。
「樋口、おまえも負けるとわかっていながら、止むに止まれぬ闘いを挑むなんざ、馬鹿すぎるけど嫌いじゃないぜ」
僕が欲しいのは、見えないリングに捧げられる、祈りを込めた拍手だ。たとえ手を叩く人が僅かだったとしても。
最後に西加奈子さんへ。この本を書かせてくれてありがとう。あなたに「感謝」しています。
1971年生まれ。出版社勤務を経て、2009年『さらば雑司ヶ谷』で小説家デビュー。著書に『民宿雪国』『タモリ論』『甘い復讐』など。