SMILEBASIC MAGAZINEは任天堂ゲーム機専門誌「ニンテンドードリーム(通称ニンドリ)」を発行するアンビットが手がけたプチコン専門誌。書店では販売されず、Amazonもしくはアンビット通販サイトでしか入手できないという、ちょっと特殊な流通形態である。A4版フルカラー106ページのうち、90%近くが第3回プチコン大喜利入賞作8作品のプログラムリストで占められる「プログラム投稿型雑誌」だ。
近年ではすっかり見ることのなくなったプログラム投稿型雑誌だが、その誕生と最盛期は1980年代にまでさかのぼる。
1980年代から90年代前半ごろまで、国内のパソコンはMSXを除くと規格が統一されておらず、各メーカー、各機種で異なるアーキテクチャを採用していた。そのため、ほとんどのプログラムは特定の機種専用であり、同じメーカーであっても異なるシリーズには異なるプログラムを用意しなければならなかった。
今となっては独自仕様は淘汰されるように思えるかもしれないが、当時は他機種との違いこそが存在意義であり、各機種には群雄割拠の覇者となるべく「尖った」仕様が求められるという一面もあった。
だが、そんな中でもほとんどの機種に共通する特徴があった。それが標準搭載されたBASICインタプリタの存在だ。多くの機種ではマシンを立ち上げるとそのまま、BASICプログラムを入力するエディタ画面になる。シェル(コマンドプロンプト)の代わりもBASICで、命令を直接実行させることでファイルの一覧を表示したり、プログラムをロードしたり、実行したりするようになっていた。これは、今の環境に照らせば起動と同時に開発環境がフルスクリーンで立ち上がるようなものだ。
当時のパソコンでは取扱説明書にプログラミング入門や、BASICリファレンスマニュアルが付属している機種も多く、パソコンを使うこととプログラムを作ることはかなり近い意味を持っていた。プログラムを組まないユーザーのことを「ロードランナー(プログラムのLOAD(読み込み)とRUN(実行)しかしない人)」と揶揄(やゆ)することがあったくらいだ。
とはいうものの、言葉巧みに親にパソコンを買ってもらった当時の小中学生の多くが考えていたことは「ゲームがやりたい」、これに尽きる。しかし、ゲームソフトを買うお金はない。パソコンまでは「勉強に役立つから」とかなんとか謎理論で押し切って親に買ってもらえても、さすがにゲームソフトでは言い訳が立たない。パソコンなら何百種類ものゲームができる、とマイコン大百科(ケイブンシャ)にも書いてあったのに、プログラムがなければただの箱だ。
そうしたパソコン少年たちの福音となったのがプログラム投稿型雑誌の代表である、マイコンBASICマガジンだった。
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