菊池ゆかりの地・・・決して女性の名前ではありません!
東和町、石鳩岡
この地に関係する伝承には様々あるが、その中の一説に次のようなものがある。
花巻城主「北 信愛」の養子 北信景、後に直吉と改名
信景は鹿角の白根金山を開発し、盛岡藩初代金山奉行となった人物
信景は「大阪の陣」にて豊臣方につき「南部十左衛門」と名のり、後、捕えられ、盛岡仙北町にて処刑される。
その十左衛門の妻は、遠野市小友町長野で金山開発に関係していた平清水駿河(本名菊池右近)の娘
平清水駿河は、大阪方へ付くため盛岡藩を出奔した十左衛門を江戸藩邸にて接待した罪で切腹
その平清水の長男家族は、領地処払いとなり、石鳩岡に移る
後、平清水駿河の孫の代に石鳩岡から土沢に移り、その長男は石鳩岡に戻り、
二男は大迫町亀ケ森へ移り、川原田系菊池氏に、三男は下小山田にて帰農し百目木系菊池氏となる。
平清水駿河の一族は、十一面観音像を所持していたと云われている
遠野菊池氏に縁ある石鳩岡と云えば、神楽
早池峰岳流 石鳩岡神楽
菊池伝右衛門が文化2年(1805)、岳神楽の小国常盤守藤原常正から伝授されたのが始まり
現在は、遠野を含めた他地域からも指導を仰ぐ者が多いようです
神楽の縁だけでなく、人の移動の歴史を知ると
見る目が、変わってくるのは、私だけでしょうか? 笑
そういうことで?、今度の日曜はと云うと、
10時から
宮守町迷岡駒形神社例祭 迷岡神楽の打ち鳴らし神事
11時から12時半まで
宮守町鱒沢の鱒沢製材所で四社(八幡・愛宕・白石・水神)合同祭典、
上鱒沢神楽(いわゆる鱒沢神楽か?)、大畑神楽、高舘しし踊りが奉納されるようです
13時から
宮守町小澤八幡宮例祭、鹿込神楽・鹿込しし踊りの奉納があるようです
ちなみに石鳩岡から大迫の外川目に抜ける道に拝峠(おがみとうげ)と言う峠がありますがそこは昔、岳神楽の一行が石鳩岡に入る際必ずその峠を越えて来たそうです!
雪が降る前に行かれてみてはいかがでしょうか!?
今日は、花巻に行く予定があったので、お昼時間に移動して、あそこかな?と思い寄りました。
まさか、お会いするとは思いませんでした。笑
観音堂は先日立ち寄った時の写真です。
拝峠、今、地図で確認しました。熊やへびが出なければ
いつかは通ってみましょう。笑
きっと笛吹さんは3箇所制覇して記事をアップして下さることでしょう。(^^)v
いくらなんでも、3カ所は私でも無理でしょう。
見tことが無いしし踊り中心に出撃したいと思いますが、
自分のお祭りのこともあるので未定です。笑
大坂の陣にての南部の光武者、東西決戦を控えての南部家の生き残り説も垣間見られるとかで興味を覚えます。
おっと・・・神楽の郷のお話しでしたね。
精度の高い神楽をいつか拝見したいです。
久々に菊池関連と云うことで。
入内島氏著「遠野菊池党」よりの引用です。
いつか石鳩神楽に関連付けて話題にしようと機会を狙っていましたが、
ちょうど観ることができました。
遠野の例祭では、郷土芸能の種類があるせいか、
神楽は打ち鳴らしだけとか下舞い(シンガク)までという場合が多いのですが、
東和町ではきちんと演目を踊っていることに驚きました。