グッドラックと言おう

このブログで人の紹介をすることはほとんどないんだけど、今回だけはここに記そうと思う。僕にとって大事な友人でもあるし、彼の人生の大きな岐路に少なからず僕は背中をポンと押したわけだし、何よりも彼はとても優秀で英語が堪能なジェントルマンだ。いつかどこかで何か一緒にできたらなと思っている。前職で一緒だった、岡本君だ。この10月から、ベトナムのホーチミンにいるはずである。

彼といつどんなタイミングで親しくなったのかを、僕は全然覚えていない。部署も違ったし、仕事で直接関わることは当初はあまりなかったはずだと思う。いつのまにか僕は彼がとても優秀だということに気がついていて、彼もいつのまにか「市嶋さん」と声をかけてくるようになっていた(彼はたいてい敬語だ。そして話しかけてくるときは決まって英語調で「Hi!」だ。そして無理して話せもしない関西弁のイントネーションを使おうとする)。

「ハンバーガー・ミーティング」と称して、不定期にお互いの近況やら情報交換やらを始めたのはいつだっただろうか。僕の家計簿の記録としては、2010年2月24日の水曜日が最初だ(やれやれ、僕は大学生の頃から家計簿をつけているおかしな人間なのだ)。僕の記憶では、確かにこの日が最初の「ミーティング」だったように思う。とはいえ、ハンバーガー屋さんでミーティングをもったのはこの日が最後で、その後は「新宿ねぎし」ばかりになったんだけど。

その最初のハンバーガー・ミーティングを、僕は結構しっかり覚えている。表参道ヒルズのGOLDEN BROWNで、馬鹿でかいハンバーガーにとりあえずかぶりつき(たしかにうまかった)、アルコールも飲まず、ジンジャーエールを何本か飲みながら、互いの状況なり、展望なり、その他諸々、くだらないことを含めて話したように思う。

彼は働きながら同時に大学に通っていて(クレイジーだ、信じられない)、そこをついに卒業するということ、その後のこと、and so on。そこに「ベトナム」の話もあった。でも、それは「断る話」として、僕は聞いた。彼も、実際そのときはたぶんそのつもりだったのだろう。まあ、話はわからないものだ。

そう、実をいうと(そして初めて書くけど)、僕はこのとき、ビジネスとして彼と一緒に何かしたい旨を伝えている。その時点では僕も独立して仕事をしたいということはまだ6割ぐらいの漠然と思っていたぐらいだったけれど、彼と一緒の「バス」に乗ればもしかしたら何かうまくいくかもしれない、という直感だけでそう言ってみた。そう、わかってて言ってみた。彼は笑って(まあ笑うだろう)、感謝はしてくれた。そりゃそうだ、優秀な彼の目の前にはいろんな駒が転がっているのだ。

その後に何度かあったミーティングの内容は詳しく書けない。とにかく、僕は僕で4月頃に独立する心を決め、彼は、…そう、いろいろあった。僕なりに誠意を持って話をちゃんと聞いた上で、「最後は君が決めることだけど」とした上で、彼の背中を押し続けた。実は彼は何度か話が頓挫してくじけてあきらめているんだけど、それでも、僕ももう強くは言わないようにはしていたけれど、ほんの少しだけ背中をつついてみたりした。そう、彼の人生は僕の人生ではないし、僕はまったく責任を持てない。でも、彼は本意でくじけたようには見えなかったから。

だから、背中を、押した。あえて書くと、彼の「志」のため。

その後の途中経過をいっさい省略する。彼はベトナムに行くことを決めた。3度目の正直みたいな感じだったろうか。僕の退職後だ。もはや彼の眼もちゃんと開いている状態だったので「なるようになるんだ」と思ってたけど、どっちの方向に転んだとしても、彼がちゃんとハンドルを切ったことがうれしかった。ああ、よかったな、と。

彼の人生は僕の人生ではない。でも、僕のいくつかの言葉が彼の人生に少なからず影響を与えたことは認める。なので、個人として、できる限り彼のサポートはしてやりたい。彼は、ベトナムで起業する(それまで行ったこともないし、ベトナム語も話せないのに、だ)。それがどれだけハードなことか、想像することはできる。僕は業務中はできるだけSkypeを立ち上げて、2時間の時差のあるホーチミンからのメッセージをいつでも受け取れるようにしている。ウェルカムだ。

僕が背中を押した人生は僕のものではないけれど、でもいつでも手を差し伸べてあげられるようなそんな心でいようと思う。その責任は僕にはちゃんとあると思ってる

Twitter / @市嶋 泰樹 (イチシマ ヤスキ): 2010-8-13

彼のビジネスがうまくいくかどうか、正直なところ僕にはわからない。僕のビジネスですらわからないのだ、仕方ないだろう。でも、幸か不幸か、僕は、過去にビジネスとしてベトナムにほんの少し関わっていて、ホーチミンにも行ったことがあった。connecting the dots。ほんと不思議なものだ。彼のやろうとしているビジネス領域の基本的な一部の情報は、偶然僕もすでに知っていた。競合をこのブログにすらアップしている。

さて。そろそろ話を締めないといけない。ミーティングでもなんでも、彼もこうやって最後にまとめるのが常だった。wrap upって言うんだっけ?

9月某日。退職直前で多忙を極めていた彼には申し訳なかったけど、数時間だけ時間をもらって二人で送別会をした。いまのところ最後のミーティングだ。餞別に何がいいかなとさんざん迷って、その前の日曜日にホーチミンにいるM君に「どういうものがありがたい?」と聞いて教えてもらった、甚兵衛を渡した。ベトナムは暑いし、ラフな甚兵衛でも異国ではかなりの和装でチヤホヤされるとか。彼、モテるだろうな。

シャツを脱いで、その場で本気で甚兵衛を着てくれるところが彼らしい(写真はそのときのものだ)。ジェントルマン。そう、別のところでも書いたけど、「類い希なるまじめさと勤勉さと謙虚さを持ち、流暢なビジネス英語を巧みに操り、そして天然記念物級に最高に素敵なジェントルマン」。そんなことはないと彼は言うだろうけど、あながち間違いじゃないと思ってる。ハチヨン(1984年)生まれなのが信じられない。

彼と次に会うのはいつかはわからない。彼にはありがたくもいろんな人を紹介してもらった。僕も少ない人脈からベトナムの現地でがんばっている知人を紹介した。お互いにそれぞれうまくいけばいいなと思う。僕は独立して2ヶ月が過ぎて少しは道筋が見えてきた。彼の道も明るくなってほしい。

お互いいまより少しだけリッチになっていたいよな(お金という意味だけじゃなく、いろんな意味で、もちろん)。とりあえず、僕は僕で、がんばっている。

いつでも相談に乗る。あてずっぽうなことしか言えないかもしれないけど。とりあえずいまは「グッドラック」という言葉しか思いつかない。健闘を祈る。

ああそうだ、退職の挨拶メールを僕にも転送してくれるってことだったはずだけど、まだメール来てないな。

10月4日。日本時間の夜1時半。10月を過ぎたので書いてみた。