コラム:日本経済「慢心の2年」への危険な兆候=河野龍太郎氏

コラム:日本経済「慢心の2年」への危険な兆候=河野龍太郎氏
2月4日、BNPパリバ証券の河野龍太郎・経済調査本部長は、2013―14年の日本経済はバブル的様相が強まり、「慢心」の年になるのではないかと指摘。提供写真(2013年 ロイター)
河野龍太郎 BNPパリバ証券 経済調査本部長(2013年2月4日)
日銀の2%インフレ目標導入が、賛否両論を巻き起こしている。佐藤健裕・木内登英日銀審議委員は、「現状のインフレ率からすれば2%は物価安定と整合的ではなく、また目標を掲げても達成できないのなら、信任を失う」ことなどを理由に反対票を投じたが、筆者も同意見だ。
ゼロ金利制約に直面し、長期金利も相当に低下していることを考えると、積極的な金融政策だけで需要を刺激しデフレから脱却することは難しい。長期金利の落ち着きを見る限り、市場関係者も2%のインフレの早期達成は難しいと判断しているのだろう。
しかし是非はともかく、政策の組み合わせ次第では、デフレ脱却は不可能ではない。中央銀行のファイナンスによって追加財政を続け、名目成長率を引き上げれば、需給ギャップの改善によって、インフレ率を高めることは可能だ。筆者は、マネタイゼーションによってデフレから脱却するシナリオの蓋然性(がいぜんせい)が最も高いと考えている。
この政策の主役は財政政策を担う政府であるが、追加財政で名目成長率が上昇すると、長期金利も上昇を始めるため、それを回避すべく日銀が国債購入を進めることで、事実上の財政ファイナンスが行われる。誉められたデフレ脱却策とは言えない。しかし、必要な増税や歳出削減を選択できず、裁量的な財政・金融政策で名目成長率を高めて問題解決を図ろうとする一連の政策決定を見ると、すでにこのシナリオがスタートした可能性もある。
マネタイゼーション・シナリオについて、詳しく論じよう。本コラムでも繰り返し述べてきたが、日本の潜在成長率は労働力や純資本ストックの減少によってすでに0.25%程度(0―0.5%)まで低下している。低成長が続いているため、日本経済は大きな負の需給ギャップを抱えていると考える人が少なくないが、実はもはや大きなスラック(余剰)は残っていない。実際、東日本大震災後、復興関連予算の執行が遅れているのは、建設業界で人手が不足しているためである。
失業率は現在4.2%まで低下しているが、かつて2%台後半だった摩擦的失業率(雇用のミスマッチなどによって生じる過渡的な失業)は、雇用の流動化などの影響で3.5%程度まで上昇していると考えられる。つまり、現在の日本経済は、インフレ率上昇圧力をもたらす完全雇用状態からそれほど大きくは乖離していない。もちろん、各国同様、若年の高失業問題や正規・非正規雇用の格差問題などを抱えるが、これらは総需要不足が原因というより、ミスマッチなど構造問題が原因で、総需要が増えても容易に解決することはできない 。
高齢化の影響で労働市場からの退出が続くため、0.25%の潜在成長率での成長が続く場合でも、就業者数は年率0.7%程度減少し、失業率は横ばいとなる。以下述べるように、追加財政によって潜在成長率を上回る高い成長が続けば、就業者数が増加しないケースでも失業率は低下し、数年後には完全雇用状況に到達する。
まず、2013年度については、13兆円に及ぶ12年度補正予算や追加的な復興関連予算の設定、消費増税前の駆け込み需要、復興関連予算の積み増しなどによって、成長率は1.5%となり、需給ギャップは1ポイント強改善し、失業率も0.4ポイント低下し、3%台後半となる。さらに、14年4月の消費増税の駆け込みの反動や補正予算の効果剥落による悪影響を相殺すべく、13年度後半にも10兆円程度の追加財政が決定される可能性が高い。中心となるのは国土強靭化計画に基づく公共投資である。その結果、14年度も0.5%の成長が達成され、需給ギャップは0.3ポイント改善、失業率は0.2ポイント低下する。
もちろん、そうした政策は、最終的には公的債務を膨張させるだけで、政策効果が剥落すれば、低成長に舞い戻り、失業率も悪化する。しかし、長期金利さえ落ち着いていれば、その段階では誰も直接的な負担を負うわけではないため、代議制民主主義の下においては、近視眼的な政策が継続される可能性がある。
同様に、15年度についても、10月に予定される第二弾の消費増税や14年度の財政政策の効果剥落による景気への悪影響を吸収すべく、10兆円程度の追加財政が継続される可能性が高い。追加財政を止めれば、大きな痛みが現れるため、政策継続の誘惑から逃れることができない。その結果、15年度も1.1%の成長率が達成され、需給ギャップは0.9ポイント改善、失業率は完全雇用に近い3.5%を割り込んでくるだろう。
追加財政によって名目成長率が上昇すれば、長期金利が上昇しても不思議ではない。実際、1980年代以降、政府の資本コストは概ね名目成長率を上回ってきた。長期金利が大きく上昇することになれば、今や公的債務残高は国内総生産(GDP)の2倍にまで膨れ上がっているため、利払い費は急激に膨らみ、財政は危機的状況に陥る。そうした事態を避けるため、追加財政に伴って発行される国債は、日銀の購入によって吸収される。事実上のマネタイゼーションが進められる。
<1―2年はユーフォリアが続く>
問題は、どの段階まで長期金利の上昇を抑えることができるかである。
拡張的な財政・金融政策によって名目成長率を嵩上げする一方、長期金利が低位で安定している間は、株や不動産などリスク資産の価格上昇が続く。リスク資産の価格上昇に惹きつけられ、ミニ投資ブームが始まる可能性もある。それが永久に続くのなら問題はないが、いずれ調整過程が訪れる。
長期金利上昇の引き金となるのは、やはりインフレ率の上昇だろう。たとえば、1%程度の均衡実質金利を前提に、2%のインフレ率やリスクプレミアムが織り込まれると、長期金利は3%台まで上昇しても不思議ではない。
現在は、インフレ率は上がらない、長期金利は上がらないと皆が信じているから、リスクプレミアムも極端に低く抑えられている。ソブリン危機が発生するまで、ギリシャやポルトガル、スペインの国債金利は低位で安定し、リスクプレミアムも極端に低かった。しかし、危機が始まると、リスクプレミアムは急激な上昇を始めた。日本でもインフレ率が眼前で上昇を始め、それを反映して長期金利が上昇し、いったん損失を被れば、投資家はリスクプレミアムを要求するようになるはずである。
仮に需給ギャップ(失業率)とインフレ率がリニア(線形)な関係にあるのなら、今後、インフレ率はゆっくりと上昇していく。この場合、日銀はインフレ率が1%近くに達すると、アグレッシブな金融緩和の手仕舞いを始め、それに応じて長期金利も緩やかな上昇を始める。ゼロ金利政策を継続するにしても、早い段階で資産買入基金の拡大を停止しなければならないだろう。インフレ率が上昇を始めれば実質金利は低下し、放置すれば金融緩和度合いがさらに強まっていくためである。
しかし、需給ギャップとインフレ率の関係は必ずしもリニアではない。根強いデフレが続いたため、需給ギャップが改善しても、ゼロインフレ状況がしばらく継続するかもしれない。それゆえ、アグレッシブな金融政策への政治的要請は続き、日銀の政策の手仕舞いも遅れる。失業率が3%台半ばを割り込み、臨界点を超えた途端に、インフレ率が一気に上昇を始め2%に近づいていく可能性がある
<長期金利上昇による金融システムの動揺>
物価安定の視点に立てば、日銀は2%を超えるインフレの加速を回避するため、継続的な利上げに乗り出す必要が出てくる。しかし、そのことは長期金利の急激な上昇をもたらし、金融システムの動揺をもたらす恐れがある。
周知の通り、長引く資金需要の低迷から、金融機関は大量の国債を抱え込んだ。急激な長期金利の上昇は、利払い費の膨張によって、財政破綻確率を高めるが、国債価格の下落は金融機関の自己資本を毀損し、金融システムの動揺をもたらす。程度の差はあれ、欧州ソブリン問題と同様の現象が生じる。物価安定の視点から必要な利上げが、金融システム上の要請で、実施できなくなる。2%のインフレ目標の上限が守られないということだが、金融システムの安定性を優先し、物価安定を多少犠牲にせざるを得ないということになるのだろう。
マネタイゼーション・シナリオの帰結をまとめよう。当初は、財政政策による「将来の所得の前借り」効果が強く現れ、潜在成長率を上回る高めの実質成長率、低いインフレ率、やや高めの名目成長率、低い長期金利、リスク資産価格の上昇が観測される。多くの人は潜在成長率が上昇しているのではないかと期待を膨らませ、バブル的様相が強まっていく。実態は、「将来の所得の前借り」によるユーフォリアに過ぎないのだが、リアルタイムではそのことに気が付かない。13―14年は「慢心」の年になるのではないか。
しかしその後は、低い実質成長率、高いインフレ率、高めの名目成長率、高い長期金利、リスク資産価格の下落が訪れる。程度はともかくとして、資産バブル、財政破綻確率の上昇、金融システムの動揺など、マクロ経済・物価の不安定性は急激に増す。本来、マクロ安定化政策の主眼は、経済を安定化させることだが、デフレ問題をアグレッシブな財政・金融政策だけで解消しようとすれば、不安定性が増すのは当然とも言える。これが、筆者の考える13―15年の基本シナリオである。
では、マネタイゼーションよりましなデフレ脱却策はないのだろうか。積極的な金融政策で時間稼ぎをしている間に、財政健全化策を打ち出し、潜在成長率を高めるために規制緩和を進める、という成長戦略シナリオも理論上は考えられる。潜在成長率の引き上げに成功すれば、自然利子率も上昇するため、伝統的な金融政策の有効性も復活する。この政策の組み合わせならば、コストは小さく望ましい。
しかし、成長戦略の果実を得るには、地道な努力と長い時間を要する。デフレ脱却に関し、「できるだけ早期の実現」を掲げる政府・日銀の共同声明は、結果的に、このシナリオを放棄することになるのではないだろうか。
代議制民主主義の下では、人々は、直ちに政策の結果を求めようとするが、潜在成長率の向上に即効薬は存在しない。しかし、待つことを我慢できない我々は、結局、「将来の所得の前借り」である財政政策や「将来の需要の前倒し」である金融政策といった近視眼的な政策に頼ってしまう。こうした政治経済学的な視点から考えれば、マネタイゼーション・シナリオの蓋然性が高く、成長戦略シナリオの蓋然性は低いと言わざるを得ない。
なお、デフレ脱却策には、もう一つ、その是非は別として、アグレッシブな為替介入で円安誘導を図るシナリオがあるが、こちらについては次回以降のコラムで取り上げたい。
*河野龍太郎氏は、BNPパリバ証券の経済調査本部長・チーフエコノミスト。横浜国立大学経済学部卒業後、住友銀行(現三井住友銀行)に入行し、大和投資顧問(現大和住銀投信投資顧問)や第一生命経済研究所を経て、2000年より現職。
*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。(here
*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。
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