2013.02.04

元医師の父が選んだ「自然死」 【前編】   延命治療は必要ない---医師の親子が考える「理想の死に方」

久坂部 羊(作家・医師)

 最近、「自然死」とか「平穏死」という言葉をよく耳にする。以下、合わせて自然死とするが、自然死とは、平たく言えば、ほとんど医療を行わない死である。もちろん、見放したり、ほったらかしにするのではない。治療はせず、温かく見守りながら看取るのである。

 私は外務省の医務官を務めたあと老人医療の世界に入り、在宅医療のクリニックに勤務して、多くの患者を家で看取ってきた。その経験から、自然死には大いに共鳴している。

 死は恐ろしくて苦しいから、何とか治療をしてほしいというのが一般の感覚かもしれないが、今は医療が進みすぎたため、治療が死を逆に悲惨なものに変える危険が高まった。だから、何もしないで見守るのがよいのである。

 私事で恐縮だが、私の父はかねてから自然死を望んでおり、その言葉の通り死を目前にして、治療らしいことは何もしなかった。家族も父の死を受け入れ、穏やかに見守りながらそのときを待った。ところが、世の中は思い通りにならないもので、父は今も死なずに療養を続けている。その経験を踏まえて、自然死の実際を考えてみたい。

自然死のための条件とは

 一九七○年代ごろまでは、医療はまだまだ非力だったので、それほど人の死を妨げることはなかった。ところが、八○年代以降、さまざまな延命治療が発達し、患者が簡単に死ななくなってしまった。「死なせない医療」の登場である。これは「生かす医療」とは似て非なるものだ。

 患者は意識もなく、身動きもならず、身体に何本もチューブを入れられ、器械と薬で無理やり心臓を動かされるというきわめて非人間的な状態となる。最悪の場合は腕や脚が丸太のようにむくみ、まぶたはゴルフボールのように腫れ上がり、口、鼻、耳から出血し、肛門からはコールタールのような下血があふれ、黄疸で皮膚は黄褐色になり、部屋には悪臭が満ち、見るも無惨な状態になりながら、命を引き延ばされる。

 もちろん、医師とて、むごたらしい状況になることがわかっていて延命治療をはじめるわけではない。「一パーセントでも助かる見込みがあるなら、ベストを尽くしてください」という患者や家族の思いに応えて行うのだ。しかし、延命治療の九九パーセントは、大きなマイナスになる危険をはらんでいる。やらないほうが賢明だと思えることも多いが、患者側が強く求めるとやらざるを得なくなる。*1

 在宅医療では、医師や看護師が患者の家に行っても、高度な治療ができるわけではない。せいぜい鎮静剤の投与や点滴くらいだが、それとて死にゆく患者にはほとんど意味がない。*2

 だから、私が在宅で患者を看取るときには、かなり早い段階から死を受け入れるように話を進める。受け入れができると、次のステップとして、家族に死までのおよその経過を説明する。

 「食事の量が減ってきて、水分も摂らなくなり、排尿も排便も減って、血圧も下がり、徐々に意識も薄れていきます。それはすべて自然で順調な経過です。食べる量が減ってきたからといって無理に食べさせたり、水分が足りないからと点滴をしたりすると、逆に本人を苦しめることになります。薬や注射もほとんど必要ありませんし、本人の苦痛さえなければ、血尿とか血痰などがあっても、心配することはありません」

 あらかじめそんなふうに説明しておくと、本人も家族も落ち着き、少々のことで不安がったりしなくなる。

 実際、私が在宅で看取った患者は、ほとんどさほどの苦しみもなく逝き、見送った家族も悲しみはあるものの、ある種の充足と納得を感じているようだった。

 そんな望ましい自然死が、なぜ世間にまだ十分広まらないのか。答えは簡単で、自然死の必須条件である「死の受容」が簡単にできないからだ。

*1) 刑事訴追のリスクもある。二〇〇九年に最高裁で殺人罪が確定した川崎共同病院事件(喘息で延命治療を受けていた患者の気管チューブを、医師が抜いた)では、事件後三年たってから、当事者の医師と人間関係が悪化した別の医師が内部告発逮捕に至っている。

*2) 点滴は、心臓や腎臓が弱っている患者にはむしろ負担となる。無駄な点滴で肺に水分があふれる「肺水腫」になると、畳の上で溺死するにも近い残酷な状況となってしまう。

 経験的には、死にゆく当人は比較的素直に死を受け入れる人が多いようである。ところが、家族はそう簡単にはあきらめられない。あれこれ治療を求め、検査を望み、何とか死を遠ざけようとする。それは自分が悲しみたくないという気持にほかならないが、家族自身は患者のためだと思い込んでいるので、なかなかブレーキがかからないし、逆効果にもなりやすい。

 大切な家族の死がつらいのは当然のことだが、その感情に振りまわされていては、当人の死がいっそうつらくなる。だから、あらかじめ心の準備をして、今のうちに精いっぱい親孝行なり、配偶者を大切にするなりしておくべきである。

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