ドミニク・チェン特別寄稿:天才A・シュワルツの死が知らしめた、ある問題について

インターネットにおけるフリーカルチャーを守り抜くべく、常に先陣を切って活動を続けてきた早熟の天才アーロン・シュワルツの死から、10日あまり。彼はなぜ、死を選択せざるを得なかったのか。そして彼はいったい、何を成し遂げようとしていたのか……。クリエイティブ・コモンズ・ジャパンの理事としてシュワルツと志を同じくするドミニク・チェンが、その軌跡に思いを馳せる。
ドミニク・チェン特別寄稿:天才A・シュワルツの死が知らしめた、ある問題について

アーロン・シュワルツ

Boston Wiki Meetup” BY ragesoss (CC:BY-SA)

アーロン・シュワルツは、14歳のときにブログの隆盛を支えたRSSの設計に携わり、そののちにクリエイティブ・コモンズ(CC)ライセンスのメタデータ層の設計を担いました。以降もRedditに携わったり、自由な情報共有の推進を行ったり、または強圧的な法案に反対する活動をリードするなど、精力的に**インターネット上のフリーカルチャーを推進** してきました。

このたびの彼の早すぎる死は、わたしたちの情報社会における著作権システムの根本的な問題 の幾つかを浮き彫りにしました。1つは著作権の非親告罪化がもたらす歪み。1つは著作物の共有を巡る損害と利益の不正確な認識。そしてもう1つは学術システムの限界です。

わたしは個人的にシュワルツさんと面識はありませんでしたが、クリエイティブ・コモンズにおける彼の偉業の恩恵を受けていた者として、敬意と哀悼をもってご冥福をお祈りします。彼の死を無駄にしないためにも、これらの点についてわたしたちは真剣に考えるべきなのだと思います。

最初に挙げた著作権の非親告罪化とは、著作物の権利をもっている人間や組織が訴えを起こさなくても、司法が独自に権利の違反者を訴追することができる制度を指します。今回の事件では、シュワルツさんが数百万件の論文をJSTORという有償レポジトリから不法ダウンロードした件で、シュワルツさんがデータを返却し、当該のJSTORが2011年6月に訴えを取り下げ当事者の和解が成立していた にもかかわらず、マサチューセッツ州検事であるカルメン・オーティズが独自に不正アクセスを禁止する法にもとづいた罪状をもって訴追を続行し、数十年の懲役もしくは数百万ドルの罰金を課そうとしていたことが報道されています。オーティズ氏やほかの検察事情に詳しい向きからは、起訴時には多めの量刑を求めるのが検察の常だという説明がなされいますが、そのことを差し引いても、シュワルツさんが精神的に追い詰められるには十分な内容だと思います。

今回の訴追は著作権侵害ではなく、日本でも非親告罪である不正アクセスをする禁止する法に基づいていますが、著作権侵害の非親告罪化をもってしても類似する起訴が多発することが考えられます。今回の件では実質的にJSTORに損害が発生しておらず、 訴えも取り下げている状態で、被疑者が自殺するほどのプレッシャーを与えることなど、わたしたちの社会において正当化されてもいいのでしょうか。わたしにはそうは思えません。推測の域を出ませんが、検察側の思考としては、検察のプライドにかけて有罪にしたい、また同様の事件の再発を防止するための見せしめとして訴追したと思われても仕方がないのではないでしょうか。

もう1つの点は、論文が仮にP2Pネットワーク等で実際に放流された場合に、純粋に「被害」だけ被るのかどうかという点です。音楽業界でも2000年代前半から議論されていることですが、トップアーティスト以外にとっては無償で音源が共有されることの方がライヴや販売チャネル等での利益が上がるという研究論文も存在しますし、クリス・アンダーソンの言うフリーミアムの概念とも通底しています。また、Web2.0という言葉を広めたティム・オライリーも同様に、「海賊版は累進課税である 」(売上が多い人ほど損害が大きく、少ない人ほど利益が多いという意)と表現しています。

廉価版や低品質版にCCライセンスを付けて無償公開し、非営利目的の二次利用を許可し、同時に有償版の売り上げを伸ばす、という発想は古くはソフトウェアにおけるデュアル・ライセンスに端を発し、コンテンツの世界でも音楽以外では書籍出版等でも実績が増えつつあり、徐々に常識になりつつあります。

故人が何を考えて大量に論文をダウンロードしたのか、ということは謎に包まれたままです。ただ、シュワルツさんは生前、法律系の論文を大量に解析し、研究のスポンサーと論文の結論の相関関係を明らかにするという研究を行っていたことからも、彼がただ単純に愉快犯的に論文をダウンロードしたとは考えにくいと思います。一万歩ほど譲って、仮にシュワルツさんがMITのネットワークからダウンロードした論文をそのまますべてP2Pに放出しようとしていたとしても、それだけでJSTORの直接の不利益につながったかどうかは不透明です。

もちろん、このことが逆に利益につながったかどうかという点も疑問視されるでしょう。論文が無償アクセスされることで利益が上がるようにするには、例えばすべてのPDFにJSTORへの販売ページへのリンクが貼られており、より高品質なPDFは有償で買えるようにする、等の工夫がされている必要があったでしょう。

実際にシュワルツさんが自殺するより大分前に、JSTORはパブリックドメインにある論文の無償公開に踏み切りました。これは著作権が切れている論文を有償で提供するよりも無償で多くの人間に読まれることによって、JSTORそのものの社会的な重要性を高め、潜在的な読者をJSTORに誘導するというフリーミアムの発想としては至極真っ当な処置だと言えます。

Creative Commons” BY Giuli-O (CC:BY-2.0)

3つ目の点としては、今回の事件が学会システムにおいてどのようなインパクトをもったのか、ということです。学術論文の多くが公的資金(つまり国民の税金)からの研究資金のもとで作成されていることを鑑みれば、そもそもそうした学術論文へのアクセスコストが高価であるということ自体が、現状の学会システムの歪みを表していると言えます。実際に、シュワルツさんの死後に、多数の研究者が自らの論文PDFを公開するという動きもあり 、多くの学者が現状の学会誌のシステムに満足していないことは明らかです。高い掲載料金を求められ、査読プロセスに多大な時間がかかり(執筆時から半年〜1年というタイムラグは一般的)、論文の著作権を学会誌に譲渡するということが一般的である学会システムは今後、大きな変革を求められることになるでしょう。

これだけ出版コストが高く、かつアクセスコストも高いことは、大多数の研究者の研究が一般人には発見しづらく、研究者同士のシナジーやインタラクションも阻害される要因となっているといえます。また学会誌のスキームでは、商業書籍と異なり、著者である研究者には印税が入らないことも当然の常識となっていますが、果たして本当にそれでいいのか再考にあたるのではないでしょうか。少なくとも印刷と配本のコストを考えれば、完全デジタル化に踏み切ったり、PLoSのようにオープンアクセスの理念に則ってすべてCCライセンスで無償公開したり、プリントオンデマンドに移行するなどといった潮流がもっと広まることによって、学会全体への社会的注目度も向上するでしょう。

わたしは、知の最前線である学術界がほかの社会領域に先駆けてオープン化を促進し、持続可能なビジネスモデルを追求すること、それは現代のように劇的な情報革命の時代を生きる学究の徒に求められる一種の倫理であると思いますし、シュワルツさんのようにウェブの最前線と研究を行き来した優れた人間の早すぎる死を無駄にしないための処方であるとも思います。

最後に、今回の事件は米国だけに限ったことではなく、今後の日本社会にも関係があります。TPPの知的財産に関する協議では、著作権侵害の非親告罪化と法廷賠償金の導入をアメリカが日本に迫ろうとしていることが判明 しています。将来、シュワルツさんのような悲劇を日本で起こさないためにも、インターネット社会を重要と考える日本の市民は今回の件を参考に、もっと議論を活性化させる必要があるのではないでしょうか。

わたしが理事を務めるNPO法人クリエイティブ・コモンズ・ジャパンは、「TPPの知的財産権と協議の透明化を考えるフォーラム」に参加し、提言を行っています。関心のある読者はぜひこちらもご参照ください。

TEXT BY DOMINIQUE CHEN