「何歳まで生きますか?」と聞かれたら、あなたは何と答えるだろうか。この世に生を受けた限り決して避けて通ることができない、それが「死」だ。
だから、生死は常に一体なのである。

なぜ、この世に生まれたものには全て終わりが訪れるのだろう。自分はそのときをどう迎えるのだろう。必ず訪れるものなのに、なぜかピンとこない。それは今生きているからなのだろうか。

そんなことを考えていた折、立ち寄った書店で見つけたのが、前田隆弘さん著『何歳まで生きますか?』だ。


本書には、シンガーソングライターの二階堂和美さん、ノンフィクション作家の石井光太さん、『モテキ』作者の久保ミツロウさん、『SR サイタマノラッパー』監督の入江悠さんなど、様々なジャンルで活躍するクリエイター11人にインタビューした「死生観」がまとめられている。

著者がこのインタビューを企画したきっかけは、死生観とは個人の経験や時代背景などにより形成される部分が多いと思われるが、メディアの中で取り上げられる死生観はドラマティックなものが多く、普通の感覚で語られる機会が少ないと感じたからだという。

内容を読んで感じたことは、私が触れたいと思っていたのは、こういうリアルで身近な死生観なのかもしれないということだ。著者も触れているが、このように今を生きる人たちがラフに死生観を語っているというような著書は、あまり見られないような気がする。

著者は、「自分と世代が近く、かつ何かしらの形で同時代の大きな一角を代表している」と感じた人達をインタビューの対象にしたという。
私も著者と同世代ということもあり、同じ時代を過ごした人たちが、果たしてどのような死生観を持っているのか……という点でも、本書はとても興味があった。


自分の身の周りでも、個人の死生観を語るような機会はなかなか無いように思う。そのため、私も自分の周りの人たちがどのような死生観を持っているのか、実は知らなかったりする。

「生」と「死」は全員に共通してあるものだが、本書ではタイトルにあるように「何歳まで生きますか?」と質問してみても、クリエイター達から返ってくる回答は実に様々なのである。
「あんまり考えていません」という人や、「60(歳)くらいがいいなぁ」という人、「不老不死になりたい!」と思う人もいれば、「仮定の話しはしてもしょうがない」ときっぱり言い切る人もいる。

と思えば、「こういうことを考える気持ちの余裕があるというのは幸せなこと」と語る人や、「人間は大変。生きることで精一杯なのに、死ぬことを考えるのは余裕があることでは?」と語る人もいて、そこにはハッと気づかされることもあった。


そう、余裕があるって何て幸せなことなのだろうと。そして、「死」があることにより「生」とは何とかけがえの無いものとして映るのだろうと。

これは私個人の印象的な生死の経験ではあるが、以前、飼っていたネコが外出中に死んでしまい、発見したときにはすでに体が硬直していたのだが、不思議と体は温かいのである。その後も、しばらくはずっと温かいままだった。

後日、友人にその話をしたところ「ネコは飼い主に感謝をしていると、自分が死んだことを気づかせないように、ずっと体を温かくするらしいよ」と教えてくれた。この経験は今でも忘れられない。
そして、あんな小さな体のどこにそのようなエネルギーが眠っていたのだろうか。

あれから10年以上経ってふと思い返してみれば、生命の美しささえ感じてしまうような出来事だったように思う。死んでいるのに生きているように見せる。人間にも、そのような不思議な生命力はあるのだろうか。まさに、生死が一体化していたような不思議な経験だった。

本書で語られている内容は、とてもリアルだ。
凄くポジティブなことだけが語られているわけでもないし、だからこそ、とても身近に感じるし、自分は生きているんだと感じさせられる。そして、これが生きることなんだとも思える。

本書を読んで、「自分も同じように思う」と共感したり、「自分はこうは思わない」と反発しながら、自分なりの死生観を導きだしてみてもいいかもしれない。
(平野芙美/boox)