特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

年頭の念頭

2013-01-28 14:21:11 | 特殊清掃
2013年 謹賀新年(既に死語?)。
今年も、つまらないことをグズグズ考えて、暗闇を暴走してやろうと開き直っている。
答をだせる頭を持っていないことは承知のうえで。

大晦日の31日は現場仕事はなかった。
一日中事務所にいて、たまっていた雑用やデスクワークを片付けた。
(デスワーカーにも少なからずのデスクワークがあるんだな。)
また、翌日も業務予定はなかったので、「明日(元旦)は休めそうだな」と、気持ちを完全にゆるめていた。

ところが・・・
夕方になって、一件の相談が舞い込んだ。
まだひと月も経っていない案件なので相談の内容まで明かすのは差し控えるが、依頼者はとにかく作業を急いでいた。
「今夜でもいいから来てほしい」といった具合に。
しかし、そのタイミングで、その仕事に行きたがるスタッフがいるわけはなく・・・
また、誰かに「行ってこい」とも言えず・・・結局、私が行くことに。
しかし、既に正月の前味に心身がゆるんでいた私。
楽したくて仕方がなく、とても行く気にはなれず・・・
私は、大人気なくグズった。
結局、翌日の朝一で行くことで、依頼者との協議は決着した。

帰途中、私の気分が浮かなかったのは言うまでもない。
ひたすら溜息。
「正月ぐらい楽させてくれよぉ・・・」とボヤきまくり。
そして、それだけにおさまらず、だんだんと頭にきはじめた。
ただ、これはボランティアでやらされるわけではなく、ちゃんとお金をもらえる仕事。
そして、仕事は仕事としてキチンとやるべきもの。
「不満に思ったらイカン!不満に思ったらイカン!」と呪文をとなえるように繰り返し、イラついていた自分をなだめながら家路を急いだ。
かくして、大晦日の夜の飲み食いはテキトーなところで切り上げ、翌朝に備えて布団の中で年を越したのであった。


元旦の道路はガラ空きで車は快走。
街には人影も少なく、雑踏が嫌いな私にはもってこいの環境。
晴れわたる空、澄んだ空気、人や車も少ない街、
高層ビル群も、東京タワーも、スカイツリーも、富士山までよく見えた。
そして、「これがすべて夢幻だなんて・・・生きてるってホント不思議なことだな・・・」と、新年早々、独自の思考性が頭を覆った。
同時に、「今年も現場業務に追われるのかな・・・」と、妙な疲労感も感じた。

毎年のことだが、私は、正月早々、疲労感を感じるクセがある。
一年の労苦を考えると、なんだか疲れるのである。
明るい話題が少ない世の中にあって・・・
生きにくくなるばかりのように思えてしまう世の中にあって・・・
終わりの見えない労苦や生活苦に、夢や希望を持つことさえおっくうになるような世の中にあって・・・
それでも、楽しいことや喜ばしいことを思い浮かべて、夢や希望を抱くのは私の自由・・・
しかし、そういかない・・・
まったく、この性格は災難としかいいようがない。


2013年に入ってまだひと月も経たないというのに、毎日、多くのニュースが流れている。
明るいニュースも暗いニュースも、そして、死のニュースも駆け巡っている。
それは、なにも遠いところで起きているものばかりではない。
私の身近なところでも、亡くなった人がいる。

知人の友人が急逝した。
まだ40代だった。
正月も、いつも通り家族と過ごし、亡くなる前夜も普段を変わることはなかった。
しかし、ある日の午後、家族がいる自宅で自殺を決行。
家族が気づいたときは既に息をしておらず・・・結局、そのまま亡くなってしまった。
ながく鬱病を患っており、近年は、いつそうなってもおかしくないくらいの状態だったとのこと。
だから、まわりの人間も、どう扱っていいものかわからず困惑していたよう。
そんな中で、結局、本人は自殺を決行してしまった。

また、別の知人の母親が急逝した。
まだ60代だった。
正月も、いつも通り家族と過ごし、亡くなる前夜も普段と変わることはなかった。
いつも通り家族と夕食を食べ、いつも通り床についた。
しかし、翌朝、いつまでも起きてこないことを不審に思った家族が気づいたときには、その身体はすでに冷たく硬直していた。
脳血管疾患による急死だった。

「人生って、ホントわからないもんだな・・・」と、つくづく思い知らされる。
2013年、どんな年になるかわからない。
どれだけの苦しいこと・悲しいこと・ツライことがあるかわからない。
どれだけ楽しいこと、嬉しいこと、愉快なことがあるかもわからない。
自分が気づいていないところで、この身体は病んでいるかもしれない。
自分が気づいていないところで、この精神は傷んでいるかもしれない。
死は、人生につきまとう。
いつも生のすぐそばにある。
それでも、人は死を遠くに置く。
遠いものと錯覚する。

仕事・勉強・お金・人間関係・健康・将来・天災etc・・・人は色んなことを心配しながら生きているけど、死ぬことを心配して生きている人は多くないと思う。
起こるか起こらないかわからないことを心配し、起こることを心配しない・・・
これを「生存本能」といってしまえばそれまでだけど、そこに人間の幼さが感じられて、「人間なんて可愛いもんだな」なんて思ってしまう。


先行きが不透明な人生は生きにくい感じがする。
しかし、人は、人生が不透明だから生きられる。
思い通りにいかないから、計画的にいかないからストーリーが展開する。
そして、その展開が人生を三次元化し色をつける。
それを「面白い!」「楽しい!」と受け止められるくらいに自分の人間性を引き上げていきたい。

それには、寛容であること、謙遜であること、柔和であること、勤勉であることが必要。
忍耐力、努力、品性も必要。
しかし、それらを身につけるのは極めて難しい。
また、薄情であること、冷淡であること、怠け癖、見栄、駄欲など、いらないものを捨てることも必要。
しかし、それらを身から剥すことは極めて難しい。
とりあえずは、楽して生きることより楽しく生きることを志向するべきだろうと思う。

格好つけるけど、私は、普段から「楽しようとしてはいけない」と自分に言いきかせ、現場にも率先して出かけ、過酷な作業も積極的に取り組むように心がけ、またそれを実行しているつもり。
そして、そのスタンスはこれからも維持していくつもりでいる。
それでも、生来の怠け癖は抜けず、また、楽をしたがる本性を捨てることもできていない。
皮肉なことに、楽しようとすればするほど苦しさが増す。
また、往々にして、新たな苦しみを招く。
結果、楽しくない時間を味わうことになる。

時間とともに人は衰える。
いつかはこの頭も、この身体もダメになる。
ただ、刻一刻と鈍くなっていく頭を抱えながらも、刻一刻と老いていく身体を抱えながらも、精神は刻一刻と鍛錬されていてほしい。
この精神は、頭より後に、身体より後にダメになってほしい。

それを支えるためにも、今年も、積極的に現場に走り、積極的に汗をかき、積極的に笑い、消極的に泣かされようと思っている2013年頭である。




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