皆さん、こんばんは。大津です。


中村勘三郎さんが逝かれました。

テレビでしか見たことが
ありませんが、とても魅力的な方でした。

「粋」な方だったと思います。
残念なことです。

ご遺族の出されたコメントの
「癌晴った」という言葉が印象に残ります。

何か今年もたくさんの方が
逝かれます。
定命の者の宿命なれど、星が堕ちたように
感じます。


さて、誰かが亡くなると決まって
「冥福を祈ります」
とコメントを出す人・媒体などが
あります。

ご存じの方もいらっしゃると思いますが、
冥福は「冥土の福」を祈るものです。
(メイドノフクと打ったら、最初
”メイドの服”と変換されてしまいました・・!)

ゆえに「冥土がない」宗旨の方に
祈るのは一般的に筋違いでしょう。

よく言われるのは、浄土真宗や
一神教(キリスト教やイスラム教)では
この言葉は当てはまらない、ということです。

故人の信仰がわからないことも多いですから、
私は冥福は、ゆえに、あまり祈りません。

哀悼の意を表するか、
お悔やみを申し上げるほうが良いと
存じます。

悲しみと悼みのないまぜになった
「哀悼」が私は好きです。
悔やむ一辺倒ではなくて、悲しみと
悼みが交錯するのが私の偽らざる
気持ちです。

「冥福」も既に人口に膾炙しているので、
もちろん「定型文」として、違和感はない
という方もいることでしょう。

けれども「定型文」で良いのか、という
思いもあります。やはり自らの言葉で、
紋切り型ではない言葉で、紡ぎたいものです。


なお私はかつてキリスト教系のホスピスで
働いていましたが、そこでは「臨終」という
言葉も注意して使用されていました。

死亡宣告の時、安易に「ご臨終です」と
お伝えすると、これは仏教用語なので
キリスト教の方には違和感があることも
少なくないでしょう。
一方キリスト教の医療者は、「召天」など
の言葉を使用されることを拝見するのですが、
これも仏教の方にはふさわしいとは言い難い
と思います。

ゆえに私は「お亡くなりです」と
お伝えするようにしています。
私の恩師は時間のみお伝えすると言っており
ました。そのような方法もあるでしょう。

送られる言葉は人それぞれにあって良いと
思います。
異口同音に
脊髄反射的に使用される「冥福をお祈り
します」が最近ちょっと苦手だったりします。
(もちろん発する方々のお気持ち自体を否定
しているわけではありません)


ノロウイルスが流行っているようです。
皆さんもくれぐれも手洗いをしっかりなさって
くださいね。
それではまた。
失礼します。