何気ない思い出 小島慶子さんが家族にのこしたいもの
子どもが生まれ、自分の死を実感
――最期の迎え方を考える「終活」を意識したことがありますか。
「私の場合は妊娠・出産を経て、死を実感を伴って考えられるようになりました。この世のどこにもいなかった息子が存在するようになったということは、そこにいた人がいなくなるということだ、と。いつか私も死ぬと頭で思っていたのとは違い、目の前にぬくもりをもった人体が出現したことで、いまは温かい私の体が冷たくなったり、思わぬ理由で命が止まってしまったりということも起こりうる、と考えられたんですね」
「では、何かあったときに家族の暮らしは、と考えると、生命保険やお金が大切になってくる。なんとなく入っていた保険を見直し、病気や死が確実に自分の人生に起こるという前提にたって、本当に何が必要なのか、ライフプランを考えるようになりました。万が一のときにはこういう手続きをしてね、と夫に話しています」
遺言書に夫へ「好きな人ができたらためらわないで」
――遺言などの準備はされていますか。
「昨年雑誌の企画で遺言書を書き、夫に見せました。夫と息子への相続、寄付、葬儀は親族で執り行ってほしいことなどのほかに、生きているのが楽しかった、もし夫に好きな人ができたらためらわないで、と付言事項にのこしました。子どもたちには『生きているっていいもんだよ。ママ、生きていて楽しかったよ。長さはさ、人によって違うけど』といって死にたい。夫にもし好きな人ができたら、一緒に生きてほしい。人を好きになるということは人生を肯定することですから」
「自分の余命がある程度わかったときに、葬儀やその後のことを決めてから死にたい、という人がいたら、その希望がかなうサービスや周囲の理解が整うことはいいことでしょう。だからといってそれがベストな死に方とはいえない。どうするのがいいのかはその人にしか決められないし、決める時間が持てない人もいるのですから」
だれも命は保証してくれない
――死への意識の高まりには、東日本大震災も影響しているといわれています。
「小学生の長男と次男が生まれたのは震災よりも前のことです。その頃から、思うようにはならないのが体、だれも命を保証してはくれない、という感覚を持つようになりました。震災後はそういう話をすると共感してくれる人が増えたような気がします。ただ自分が震災をきっかけに命を大切にしようとか、自分が死ぬかもしれないという思いを一層強くしたというよりも、個人的な経験を通じて得たものがベースとなって、震災で亡くなった方や身内を亡くされた方のことを想像することができた。妊娠・出産なしでは抱いた感覚は違ったのではないでしょうか」
「幼いころに、戦争を経験した両親の話を聴きながら、ああ、私は大きな出来事によってたくさんの命が失われるような時代の後に生まれて良かったな、と思っていました。ところがラジオ番組の生放送中に揺れはじめ、最初のテレビの画像に津波が映しだされて、その夜に気仙沼が火の海になって、その間に何万人もが亡くなってしまった。その日の朝までいつも通りに暮らしていた方々が亡くなられてしまったという現実を、生きている間に見るとは思いませんでしたし、原発事故が起きて、微量とはいえ放射性物質が入っている水を飲む日がくるとは思いませんでした。生きているとそういうことが起きるんだ、思い通りにはならないんだと実感しました。身内を震災で亡くしたわけでも、ふるさとを追われたわけでもないのですが、実感は非常に重いものでした」
大きな悲しみの中でも、笑いたい欲求がある
「人は大きな悲しみの最中にあるときには、それを訴え、言葉にし、乗り越えようとするのではないか、と考えがちです。ただ、震災から1~2カ月ほどしかたっていないころ、被災地から、たわいない体験談を番組に寄せてくれる人が結構いて、考えが変わりました。忘れ難い大きな変化の中にあっても、人の心にはちょっとしたことで笑いあい、昔のドジな話をだれかに聞いてもらいたいという気持ちが生き続ける。ささやかなことで人とつながりたいと希求する人間とは尊いものだなあと、あの時感じました」
――メディアの役割を再認識されましたか。
「人が実際にふれあう人数には限りがあります。でも、生身の人間でなくても、人間が人間に対して語りかけられる場がある。それがメディアではないでしょうか。息子たちによく『本と音楽は、心を許せる人なんて1人もいないと思った時だって、君を笑わせ、ほっとさせてくれるよ』と話します。ラジオもそうです。マスコミの場に身を置いて話しかけるということは、会ったこともなく会うこともない人との間に共感を生む作業。限られた人数としか交われない私たちが、生身を超えてだれかと交わり、孤独ではないと感じたいという望みを実現しようとする場がテレビやラジオやインターネットだと考えています」
個別の暮らしやいたみに寄り添う視点
「数え切れない人が悲しんだ今回の震災では、被災者というくくり、私たちという一人称で同質の悲しみを語ることでしか共有できないものもあります。と同時に目を向けなければいけないのは、何千万という人の数だけ、お気に入りの暮らしや個別のいたみがあるということ。たとえば、愛用していたシャンプーがようやく地元の店で手に入った時に、ああ、私は生き残ったんだと思う人だっています。その人が歩んできた人生の中で、そのことがいかに切実であるか、ということに寄り添う視点が、メディアという大きな場所であっても忘れられてはならないのです」
――家族にのこしたいものとして「思い出」を挙げられています。
「がん宣告を受け、亡くなるまでの段取りをあれこれ考える父親を娘が撮影したドキュメンタリー映画『エンディングノート』(砂田麻美監督)がとても好きです。家族の何気ない会話や生活感があふれる風景の中で、『死んだら自分のクリスチャンネームをどうしてもらおうかな』と父親が考える。自分の死も自分にとっての大切な人の死も、今日のごはんは何にしよう、明日は片付けをしなきゃ、という日常の中で時を刻んでいくものだというリアリティーがありました」
「思い出はのこそうと思ってのこせるものではない。しかも人は思いがけないことを覚えているものですよね。何でもない会話、この人好きだなあと思った瞬間、幸せそうな表情など。家族は美しくない、嫌な思い出も覚えていることでしょう。思い出とは認識できず思考の一部となっていることもあるでしょう。それで十分。私という人間と暮らし、交わらなければできなかった体験がのこればいいなあ、と思います」
(聞き手はWAVE.1編集長 松本和佳)
「WAVE.1(ウェイブワン)」は今、話題となっている一つのテーマを多面的に掘り下げ、記事と写真で紹介する日本経済新聞朝刊の特集ページです。2カ月に1回のペースで掲載しており、次号は2013年1月15日に掲載予定です。