終末の段取りをノートに… なかなか筆が進まない
定年男子の終活見聞録
万一の場合に備え、家族や周囲の人に伝えたいことをあらかじめ記入しておくエンディングノートが、関心を呼んでいる。本来なら普段の生活の中で、自然に家族に伝わっていくものなのだろうが、子供たちは離れて暮らしているし、「縁起でもない」と取り合ってもくれない。最近は、介護や終末医療、葬式、墓など、エンディングにも選択の幅が広がっているから、本人の意思を残しておかないと残った者が大いに迷うだろう。書き残しておくのが一番いいかもしれない。
エンディングノート、記入欄は考えたくないことばかり
書店をのぞくと、いろんな種類のエンディングノートが並んでいた。出版社、文具メーカーのほか、葬儀社、金融機関や民間団体なども独自のノートを作っている。かかりつけの医者、常用薬、緊急連絡先など緊急時に人に見てもらいたい情報と、財産、相続方法など生前見られては困る情報を、別々に保管する2分冊方式や、CD-ROMが付いたものもある。私も一冊を手に入れた。
生い立ち、経歴などの自分史の記入欄から始まり、介護、終末医療や葬式、墓の希望などを書くページが続く。財産一覧や配分方法、残った家族、友人への思いを書く欄もある。できることなら考えたくないことばかりだ。簡単には筆が動かない。
「エンディングノートのすすめ」(講談社現代新書)などの著書がある本田桂子さんに話を聞いた。遺言相続コンサルタント、行政書士として多くの相続問題にかかわってきた。私の手元にあるエンディングノートの作者でもある。
定年退職の時期に書く意味は大きい
「ノートは終活の入り口。まずは気軽に開いてほしい」と本田さんは忠告してくれた。「漠然とした老後への不安が、書いているうちに具体的に見えてくるから備えもできる。死後のためでなく、今を楽しく安心して生きることにつながる」とも話す。新しい生活が始まる定年退職のこの時期に、ノートを書いてみるのは大いに意味がある、と思い直した。
さて、ノートに向かう。医療、介護の項でまず考え込んでしまった。「病名、余命の告知は」など深刻な設問が並ぶ。記入しやすいように「告知しないでほしい」「病名だけ告知」「すべてを告知」などの選択肢が用意されている。とりあえず「病名だけ告知」にマルをつけ、「余命の告知はケースバイケースで」と書き加えたが、このあいまいさでは周りが困ってしまうかもしれない。「延命措置は」といった答えにくい設問もある。
葬式の項になると、招く人のリストのほか、葬儀の規模、戒名の有無、費用などの設問が続く。呼びたくない人を書く欄もあるが、はっきり書くとなるとこれも悩むところだ。
感謝すべき大切なものも見えてくる
どれもこれも難題だ。すぐには考えがまとまらない。「書く前に、まずは家族と相談してみよう」ということにした。「ノートは避けていた問題を話し合う糸口になる」。本田さんによると、これもノートの効用なのだという。
自分史の部分を書き進めながら、家族の間でも知らないことが結構多いのではないか、と思い始めた。自分が何を考えてどんな仕事をしてきたのか、詳しく話したことはないから、家族にもおそらく正確には伝わっていないだろう。生まれた時のこと、学生時代、新入社員時代、結婚前後、子供の誕生時の思い出なども書き残しておけば、残った者はきっとうれしいに違いない。これまでを振り返ることで、今の自分にとって感謝すべき大切なものも見えてくる気がする。思いのこもった最後のプレゼントになるだろう。
残りの空欄、じっくりと考えながら埋めていこう
遅ればせながら、昨秋公開された映画「エンディングノート」を見た。定年退職後、がん告知を受けて69歳で亡くなるまでの父の日常を、娘が撮影した記録映画だ。「仕事は段取りが大切」が口癖だった主人公は、告知後「死に至る段取りは人生最後の一大プロジェクト」「最期をデッサンしておかないと家族が困る」とつぶやきながら、まずエンディングノートの作成にとりかかる。
半年後、すべての段取りをノートに書き終えて主人公は亡くなる。元気なころは、仕事いちずの夫と妻との間がぎくしゃくする時期もあったようだが、最後は「愛している」「一緒に行きたい」と言葉を交わす。悲しいながらも、何かホッとさせられる場面ではあった。
経済産業省が今春まとめた調査では、エンディングノートを「いずれ書くつもり」と答えた人が、65~69歳で53.4%いたが、「既に書いてある」は0.8%にすぎなかった。私のノートも空白部分が多いままだ。ただ、残された時間はまだしばらくあるだろう。じっくりと考えながら、空欄を埋めていくことにしよう。
(森 均)
※「定年世代 奮闘記」では日本経済新聞土曜夕刊の連載「ようこそ定年」(社会面)と連動し、筆者の感想や意見を盛り込んで定年世代の奮闘ぶりを紹介します。