孤立死の現場を通じて感じること | 中下大樹のブログ

孤立死の現場を通じて感じること

電話が鳴った。電話をかけてきたのは、DVから逃れ、駆け込み寺に緊急避難してきた中年女性Aさん。



今は生活保護を受け、アパート暮らし。しかし精神疾患があり、一日中、部屋の中にこもりっぱなしの生活。



Aさんからは、久しぶりの電話だった。Aさんはいきなり、私にこう言った。



「母が孤立死しました。今、ウジがわいた部屋に来ているんですが、どうしたらよいでしょうか?助けてください」



「分かりました。すぐに伺います」



やれやれ、またか・・・・。



このブログを読んで下さっている読者の方には「非日常」なことかもしれない。


しかし、このような連絡は、私にとっては「日常的」なことだ。



部屋に直行すると、既に部屋からは強烈な死臭が漂っており、その死臭に私は一瞬、たじろく。



持参したマスクをして、部屋の中に入る。


既に警察が来ていて、遺体は引き上げていたが、大量のウジやハエが飛び交う「地獄絵図」がそこに広がっていた。



Aさんのお母さんが亡くなった場所は、トイレだった。


和式便所でしゃがんだ時に、何かしらの問題が起き、そのまま倒れこんでしまったようだ。



一人暮らしなので、誰も気がつかない。普段から地域と交流もないため、死後、数週間もたっていたそうだ。



あまりにその部屋の「匂い」が強烈なため、近所の方が通報し、大家さんと警察が介入して初めて「孤立死」と判明。


都会ではよくあることだ。



私は、ウジやハエが飛び交うその場所で合掌し、故人がさっきまでいたその場所で頭を下げ、短いお経を称えた。



そしてAさんと共に、強烈な匂いを発するその場所の掃除を、二人で始めた。






人は、年を重ねれば、誰だって病気がちになる。



結果、高齢となり一人で暮していれば、心筋梗塞や脳血管障害等で、いきなり「バタン」と倒れ、そのままあの世へ逝ってしまうということも、現実的に誰にでも「ありえる」話である。



だが、多くの人は「自分が当事者になる」ということは、考えない。意識的に「考えないように」していると言った方がよいだろうか?



ただでさえ、死を忌み嫌い、死を「縁起でもない」と遠ざけ、死を語ることすら、まだまだ「タブー視」されている現代社会。




孤立死は、少子高齢化に伴い、今後ますます、増え続けるだろう。



私はこのブログでも、繰り返し述べてきた。



現時点(2012年)で、既に高齢化が世界一のスピードで進んでいるにも関わらず、2030年には、3人に1人が高齢者となり、日本中の約4割が単身世帯(おひとりさま)になると言われている。


団塊の世代(昭和22~24年生まれ)は約700万人いると言われている。


彼ら彼女たちが大量死するのである。


今ですら年間約120万人の方が亡くなる。2030年には170~180万人が一年間で亡くなると言われている。


今の約1.5倍である。


都内で新しく火葬場を作ることは、住民が大反対する。従って、都内で火葬することは、最低でも1週間、場合によっては2週間以上、待たされることになるだろう。

(火葬場をコンビニのように、24時間営業にすれば、話は別かもしれないが・・・)


すると、遺体を安置する場所の確保の問題が出てくる。


東北の被災地では、2011年3月~5月ころまで、遺体の数が多すぎて、東京にも遺体を運んで、火葬した。(江戸川区の瑞江斎場、大田区の臨海斎場などで)


それと同じように、東京で亡くなっても、都内で火葬出来ずに、群馬や茨城、栃木や新潟くらいまで遺体を運んで火葬しなければいけない時代がやってくるだろうと、私は予想している。


さぁ、その時、どうするんだろ?


自分の親が死んでも「関係ないね」と言える人はよい。しかし、現実的に、そんな人はごく少数だろう。


今は「関係ない」と考えていても、いずれ「無関係ではいられない」のだ。だから、今から考えておいた方がよいのである。しかし、それが一番難しい・・・


人間は当事者にならない限り、所詮は「他人事」。


それは、原発事故対応を見れば分かる。


福島では「放射能」を口にすればするほど、「同調圧力」がかかり、非国民扱いされる現実・・・




右も左もお年寄りばっかりで、しかもそのお年寄りを支える若者が、どんどん減少している。



「一体、どうーすんだ?」


死は誰にでも平等に訪れる。



だからこそ、「その時」の対応を、元気なうちから準備しておいた方がよいと、私は繰り返し述べてきた。



そのために、集会をやり、本を書き、政治家への政策提言も行い、繰り返し繰り返し、世論に訴えてきた。



しかし、しかしだ。


現実は良くなるどころか、悪くなる一方だ。


世間の人も、孤立死問題を、なかなか「自分の問題」として考えるという雰囲気もない。



私がいくら現場をかけずり回り、孤立死対策に走り回っても、社会が壊れていくスピードの方が速すぎるのだ。



孤立死が多発する住宅で、孤立死問題を住民皆で考えようと声をかけても、「寝た子は起こすな」と言われ、バッシングの対象になる。



良かれと思って行動することが、逆に非難の対象となる。



「あなたのやっていることは、砂漠に水を捲くようなものだよ」と言われたことがある。



この東京砂漠という大都会に、いくら水をまいても、現実は何も変わらない・・・


思わず、ため息が出る。何をやっているんだろう?と自問自答が続く。

しかし何か出来ることがあるはずだ・・・という思いを持ちつつ、今日も孤立死予備軍の方の見回りに時間を費やす日々。