世界各国の“葬儀”事情

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 社会の変化に合わせて、冠婚葬式のあり方について批判があがっている。その代表的なものとしては、スマート婚の流行や、高額な葬式費用から現代の葬式について疑問を投げかける『葬式は、要らない』(島田裕巳/著、幻冬舎/刊)のヒットなどがあげられるだろう。

 そんな中、葬式のスタイルにおいて、これまで主流ではなかったスタイルの葬送方法が注目を集めているという。「自然葬」だ。
 「自然葬」は、遺体や遺灰を墓ではなく海や山などに還す葬送方法。ドラマや映画などで遺灰を海や空へとばら撒くシーンを思い浮かべる人も多いと思われているが、実際は、派手にまき散らすことはなく、決められた場所で撒かれる。
 ところで、この自然葬をめぐる葬儀事情、諸外国ではどうなっているのだろうか? 『自然葬のススメ』(吉澤武虎/著、アスキー・メディアワークス/刊)にその記述が見られる。

 著者の吉澤さんがインドのヴェナレス(ワーラーナシー)を訪れたのは1996年11月のこと。そこでカルチャーショックを受けることになる。
 ヴェナレスは生と死が交錯するガンジス河岸の街で、ヒンドゥー教の聖地。ヒンドゥー教徒は一生に一度はここに巡礼に訪れる。そして、東側の不毛地帯から昇る太陽に向かって祈ると、今までの罪は洗い清められ、死後、天国に行けるという。
 ガンジス川のすぐそばにある火葬場では、まるでキャンプファイヤーのように薪がくべられ、ごうごうと立ち上る火の中で遺体が燃やされている。そして、火葬され、炭になった塊はガンジス川にそのまま流される。また、火葬の費用を出せない貧しい人の屍や動物の死体はそのまま流されていく。

 ヒンドゥー教では、死後、魂は他の人間や生類に転生するため、墓は必要ないと考えられているという。吉澤さんはこうしたインドの景色と対峙し、日本で考える「豊かさ」や「貧しさ」、「生きること」や「死ぬこと」といった感覚が完膚なきまでに否定され、通用しないような気がしたとつづっている。

 一方、韓国や中国では、墓地不足の深刻化から、自然葬へシフトする動きも出てきているという。例えば韓国では樹木葬に傾斜しているという。また、中国の遼寧省では海洋散骨が推し進められているほか、上海でも海洋散骨に補助金を支給しており、10%ペースで増加している。
 アメリカでも日本と同様、伝統的な葬儀が少なくなってきたようで、特に移動者が多く、自由な気風に満ち溢れている西海岸では、火葬と散骨が少しずつ広まっているのを感じられると著者はいう。一番先進的と言われるカリフォルニア州では実に60%の人が散骨を希望しているそうだ。

 日本では、市民運動の中で「自然葬」が広まりつつある。市民団体の「葬送の自由をすすめる会」が1991年に発足した際に、この言葉が初めて使われ反響を呼び、1998年には『広辞苑』第5版にも掲載され、一般にも定着した。
 山や海に遺骨を還す「自然葬」は、自分らしく逝くための一つの方法だ。葬式全体が見直される中で、「自然葬」という選択はさらに存在感を増すだろう。
(新刊JP編集部)



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