陽だまりのねごと

♪~思いつきひらめき直感~ただのねこのねごとでございますにゃごにゃご~♪

いつかは死ぬという当たり前なこと

2012-08-30 23:39:34 | Weblog
昨夜のNHKクローズアップ現在では、家での看取りが取り上げられていた。
家では怖くて最後が迎えられないと言って、病院を選択した亡夫。
あれから11年が経とうとしている。
家での看取り関わってくれる医師と、訪問看護も充実してきた。
番組では、もっとも重要なのは死への肯定感を持つ事だと言われ、
最後にインディアンの詩の一部が紹介された。
過去にもラジオで聞いて調べた事のある詩だ。


   今日は死ぬのにとてもよい日だ

       あらゆる生あるものが私と共に仲よくしている
      あらゆる声が私の内で声をそろえて歌っている
      すべての美しいものがやってきて私の目のなかで憩っている
      すべての悪い考えは私から出ていってしまった
      今日は死ぬのにとてもよい日だ
      私の土地は平穏で私をとり巻いている
      私の畑にはもう最後の鋤を入れ終えた
      わが家は笑い声で満ちている

       子どもたちが帰ってきた
      うん、今日は死ぬのにとてもよい日だ

            プエブロ・インディアンの一老人の詩



夫の最期は緩和ケア病棟だった。
お風呂に入れてもらい、ビールが飲みたいと言うを聞いた
ドクターが「奥さん急いで」
と言ってくれ大急ぎで缶ビールを買いに病院を飛び出た。
冷えた小さな缶ビールほんの一口、
口を付けただけであったかもしれないが、
夫の口から

  「まるで家に居るみたいだ」

と、言う言葉を聞いたのは嬉しかった。今でもその時を克明に思い出す。
それから数日後だったか意識がなくなって下顎呼吸になった時、
駆け付けた姑が傍で
 
  「息をして、がんばって息をして」

と、言うのがうっとうしかった。
がんの痛みが緩和されて、穏やかな数日からの自然な成り行き。
私は心の中で何度も姑と真逆の言葉をくりかえしていた。

  「もういのいいよ。早く楽になってね。」


今日、おなじく11年寡婦と話す機会があった。
あの貿易センタービル爆破テロの年だとお互い忘れるに忘れられない。

  「長く生きたよね」

  「誰も褒めてくれないけどね」

そう言って肯きあった。


乳がんで亡くなった歌人河野裕子の発病から死までをドラマ仕立てにしたのをTVで見てから、
持っている歌集を読み返している。
自分の病が死がなかなか受け入れられない歌からしても濃い情の持ち主で、
また優しみに満ちた夫と家族の風景だった。
感情が溢れ伝わってくる歌の中で、このひとつに拘ってしまう。


  嘘つきの大き男の傍らの日だまりにたつぷりとぬくもりて来し


私だって”日だまりにぬくぬく”で最後まで過ごしたかった。
先に逝く女に成りそこなった。
だれもがその時の”いい気なもの”を感じない。

ひとり身になってなんとかやってきた。
褒めてもらいたい人はただ一人。天に召された人だけだ。
お互い暗黙の『いつお迎えに来てくれても良い』という思い内包していた感じがした。

とある老人介護施設での食事風景。
いきなりおかゆの中に各種小皿のやわらか刻みのおかずが投入され介護士によって混ぜられた。
それがスプーンで口に運ばれる。
食べさせてもらっている人の口は文句も言わず租借している。
食べる事が命を紡ぐ。
家にも帰る事はないだろう看取りまでの施設であろう。
その日まで、そういう食事が続くのかと胸が詰まったのはセンチメンタル?

人手不足の貧困福祉が、人らしい営みのための介護より能率介護をさせている。
スタッフの感覚も鈍磨していると言わざるを得ない。

話はあちらこちらに飛ぶが、
夫存命なら
満足という最後を用意してはあげられない様相の介護保険に関わる仕事に就いてはいなかった。
各種、終末までケアする施設をしっかり知ることもなかった。

テレビでは家族に看取られる死しか扱ってはいなかったが、
家族のない人も誰かに看取られる方がいいのか?
私はまた孤独死も否定したくない。

亡夫のおかげか?
死は自然な事とストンと胸に落ちている。

今現在、夢にもでない夫が、死真近には夢枕に立つのかな?



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5 コメント

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Unknown (dorucasu)
2012-08-31 00:43:15
>死は自然な事とストンと胸に落ちている。

なんだか私は子供の頃から「人はいつかは死ぬ者なのだ」と思っていました。聖書を読むようになりなおのこと、
この言葉が本当に(アーメン)と思えます。
そうなんですね (みかん)
2012-08-31 05:40:13
dorucasuさんは
子供の頃の何か体験がおありなのかな?
それがさらに信仰の裏付けができているんですね。
ひとりで (山猫軒)
2012-08-31 08:54:51
ボクは一人で死を迎えることになります。それはそれで、いい。死後一週間、一ヶ月なんてことは避けたいですが。
仕事をしている限りあるいは毎日言葉を交す人が居る限りそんなことにはならいだろうと思って、仕事を続けています。
Unknown (きらり)
2012-08-31 15:41:00
最近、夫とも死について話します。お互い自分が先にと言ってますが、認知症の姑を置いて逝っては困ると本当に思ってます。人は必ずいつか死にますが、最後まで人間らしくありたいですね。医師達からすれば延命措置は当たり前でしょうが、治る見込みがないときは、家族のもとで穏やかに最期が理想ですね。理想であるけれど生活とかもあるしどんなでしょうね。私の父の場合、すい臓がんで最期病院で亡くなりましたが、本人が、管を全部引き抜き、母と妹と三人交代で介護しました。最期きたのは、私達も解ったので、ずっとそばにいて見取ることは出来ました。最後まで意識がはっきりしてて辛かったです。
みかんさん、一人で頑張って来ましたね。旦那様の分まで長生きして、たくさんのお土産話を持っていってあげて下さい。
ただいま (みかん)
2012-08-31 19:01:03
☆山猫軒さん

ひょっとすると病院かも?施設かも?
誰かが傍に居る可能性もあります。

>毎日言葉を交す人が居る

これポイントが高いですね。

☆きらりさん

つらい経験をなさったんですね。
番組ではその延命措置について、医師の考えが変ってきていると言う話でした。
夫はほぼ自然な状態で亡くなりました。
これから最後まで人らしさが保てる終末医療が普通になるのかもしれませんね。
そうあって欲しいですね。

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