柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

尊厳ある死

2012年07月05日 | 
文芸春秋7月号に「尊厳ある死」という特集が組まれました

その中の記事は大変に興味ある物ばかりでした

カリスマ看取り医として
東京大学名誉教授の大井玄先生
芦花ホーム医の石飛幸三先生
同和園医師の中村仁一先生
の三氏が「自然な死」の対談をしています

抜粋ですが・・・ご紹介します

長年、一秒でも長く生かすことだけを考えている医者だったが
老人ホームの医者になりショックを覚えた
そこにいたのは胃ろうや経鼻胃管を付けて
ムンクの叫びのように手足を硬直させ
口を半分開けたお年寄りだった
平均年齢90歳、痴呆症が9割
自分たちが治してきたと思っていた患者さんたちは
こうして最期を迎えようとしているのか、という思いでした


私が多くの自然死を看取る中で経験したのは
人間には安らかに死ぬための仕組みが本来、備わっているという事です
寝たきりの患者で体がむくんでいることはよくあります
つまり栄養が偏って中途半端に溜まっているんです
それが、ものが口から入らなくなって一週間から十日すると
全部むくみが引いていく
末期がんで腹水がたまっていた患者も、きれいにペッシャンコになる
全部使い果たして枯れるように死んでいく

みなさんに是非、知っておいてもらいたいことは
自然の死というものは苦しくないとういうことです
ご家族もそれを一番心配するのですが、私の経験上、自然死で
苦痛を訴える患者はほとんどいなかったですね

認知症も暗い嫌なイメージばかりですが
痛みの緩和という点では、プラスの面もあり癌などの傷みがなくなる
認知症も典型的な老衰の一形態ですから
自然に苦痛なく死を迎えられるように、人間はできているとしか思えない

ただ終末期になると、どうしても呼吸が苦しそうに見えるんです
だから病院ではすぐに酸素吸入器を付けてしまう
しかしそれは自然に息を引き取る前に、誰でも起きることで苦しいわけではない
それを前もって家族に伝えておくのも必要です

自然な死を妨げているのは、日本人が死というものから目をそらしているからだと思う
家族は身内に死が迫っていることをなかなか認められず
医療にすがれば何とかなる、と思いたがっている

もう一つ、自然な看取りができない原因の一つが「遠くの親戚現象」がある
患者さんをお世話をしていると、家族も医者も最期の看取りの時期が解ってくる
ところが、介護に携わっていない身内がやってきて
「何で病院に入れないんだ、見殺しにする気か」と言い出す
しばしば彼らの言い分が通ってしまう

死に向けての看取りだ、という線をどこで引いたらいいのか?

結局、体に気持ちを合わせたら、もっと楽に生きられるはず
体は立派に衰えているのに、気持ちは置き去りにされ体についていっていない
社会全体が若さや健康を強要している

我々、年寄の医者が勇気を出して「何もしないのも医者の仕事だ 
人間の自然で平穏な最後の過ごし方なんだ」と言わなければならない
それは、病気を治すことに匹敵するくらい、需要な医師の仕事になってくると思う

死んでいく人は、その死にざまによって、看取っている人たちに
自分の人生とはなんだったのか、を教えるんですね
そして看取った人たちは、また次の人に伝えていく「看取りの文化」なんです

うちも他の老人ホーム同様、病気になったらみんな病院に送り、最後は病院で迎えていた
そのころは介護士も挫折感があるのかどんどん辞めていった
看取りをするとガラッと変わる
最期を看取った時に「有難うございました」という言葉が出るようになる

そうそう、患者が医師やスタッフを育てるんですね

最後に一言いっておきたいのは、日本の介護は非常にレベルが高い
ケアの質が高い
その良さを生かしながら、より良き死を迎えられる体制つくりが必要になってくる



今日はとても長くなってしまいましたが
先月発売の本だったので、どうしてもご紹介したいと
思いました

実はまだ他にも興味ある特集が載っていました
また続きを書きます

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