イングランド戦のトゥーリオに、プレイする喜びを感じたと前回ここで書いているが、コートジボワール戦の感想は喜び過ぎ。空気が読めなさすぎとなる。

ドログバにラフプレーに及んだ一件だが、あれはやっぱりマズイ。自軍ゴール前のプレイならまだ分かる。ここで身体を張らなければ、ゴールを奪われる。絶体絶命な瞬間なら、ラフなプレイもやむを得ない気もするが、反則の起きた場所は中盤。センターサークルにほど近い場所だった。

何よりこの試合は親善試合だ。本番を直前に控えた最後の一戦。つまり、バリバリの調整試合だ。試合と名の付くもの、いつでも100%全力で、それこそ、死ぬ気で戦えばいいというものではない。オーバーファイトで、相手に必要以上のダメージを与えることはあってはならないのだ。

親善試合の嗜みを知らない無作法。マナー知らず、礼儀知らずと言われても仕方がない。

なぜこのような事件を引き起こしてしまったのか。責任はトゥーリオ一人にあるわけではない。背景は、前回書いたことと全く同じ。国際親善試合に慣れていない。この一言に尽きる。

日本は試合数だけは立派にこなしている。しかし、アウェー戦はごく僅か。9割が日本の常識のなかで行われる。結果至上主義、勝利至上主義に基づく、絶対に負けられない戦いを演じることになる。手薄のメンバーで来日する相手チームとは、180度異なるノリで親善試合に臨んでいる。

その結果、日本の勝ち星はどんどん増え、大きな勘違いが進むわけだが、それはともかく、日本が、そこで積んでいるのは国際経験ならぬ「国内経験」だ。国際経験は実は、あるようでいてない。海外組を除けば、アウェー戦の中でしか培われない国際的なマナーや、立ち振舞いを会得する機会に恵まれていないのだ。岡田監督しかり。大半のメディアしかり。

韓国、イングランド、コートジボワール。最後に戦った相手は格上。だが、気がつけば、世の中は、日本代表が彼らに勝利することを求めていた。で、韓国に順当負けすると大慌てし、イングランドに1点差で敗れると、善戦だと大はしゃぎし、コートジボワールに力負けすると再び落胆……。現在に至っている。で、さらに言えば、テレビのスポーツニュースでは、本田と中村俊は共存するかなんて話を、いまだ大真面目に議論している。

勝てば喜び、負ければ悲しむ。日本サッカーの問題点は、この安易というか、単純な反応の仕方だ。針はどちらかにすぐに振れてしまう。

本番はこれから始まるというのに、だ。岡田ジャパンの勝率は、7割を超えているので、大袈裟に言えば、頭を空っぽにしてはしゃいだ回数もそれに比例する。

で、日本はやっと本番直前になって、日本を取り巻く現実を知ることになったわけだが、よく考えれば、はしゃいだツケが回ってきているだけに過ぎない。馬鹿丸出しとはこのことだ。

トゥーリオのラフプレイを嘆く資格のある人は、日本にいったいどれほどいるのか。親善試合とは? その意味を本当に分かっている人は少ない。練習試合、調整試合、テストマッチ的な一歩引いた目で眺めることができる人は。

一言でいえば国際性の欠如、となる。

それはサッカーの中身そのものにも当てはまる。すでに「日本人らしいサッカー」は、十分にできていると僕は思う。

岡田ジャパンのサッカーは、十分に特殊だ。世界の大多数のサッカーと、サッカーゲームの進め方において著しい隔たりがある。その特殊性を認識している人もまた少ない。

本田は僕のインタビューにこう答えた。

「オランダの2部で目立つためには作っていてはダメ。ゴールを奪わないと誰も注目してくれない。そのためには〜。いままでの自分を全て否定することから始めた」と。